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 「ひとつふたつ納得がいったら行くことにするよ、兄弟」と吾輩は言った。吾輩は真直ぐ部屋を横切り、中にある部屋をそっと開けて覗き見た。この奇々怪々な話について検証をしてみたかったのだ。それは吾輩の西洋製の頭脳と体質にとって不合理なものに聞こえたのである。その一言一句が真実であると云う可能性なぞ幾らでもあるのであると知ってはいたのであるが。

 さて、吾輩がそこで見たものは極めて満足のゆくものであった。そこにはこれまでの人生で見た中で一番どでかい中国人がおり、床の上の座布団に脚を交差させて座り、そしてその脛の上には、吾輩がそれまでもこれからもお目に掛かったことがない様な、やたらと長くて醜悪な外見のナイフを持っていた。

 吾輩は開けた時よりも更にそっと扉を閉め、そして我が新しき友人のほうへ向き直ってみると、彼の顔はまるで灰色の仮面の様で、殆ど一分間も話す出すことが出来なかった。

 「大丈夫だ、兄弟よ」と吾輩は云った。「彼奴 (あやつ )は吾輩を見はしなかった。吾輩はこれに巻き込まれる前に、君の話をじっくり確認せねばならんかったのだ。今となっては吾輩は信じよう、もう厭と云う程な。唯ひとつ、吾輩の船から二十尋も離れてはいない所に生きた悪魔がいて、こうした極悪非道の所業が行われていると云うことだけが、理解に苦しむところではあるが」

 「では———アナタ彼を運ぶ、センチョ? 本当だと約束する?」とやっとのことで彼は何とか絞り出した。彼の頭の中には自分の息子のことしかないのだ。

 「うむ」と吾輩は言った。「しかし、君が今夜船に乗り込む必要はないぞ。どうしてかってそりゃあ、若し君の言うことが正しいのであれば、連中は直ぐ様見当を付けるだろうからな。そうなれば手遅れになって、君の息子は埋葬する他なくなってしまう。吾輩に任せ給え、吾輩が何とか知恵を捻ろう。後で吾輩の二等航海士をば、君の竹の骨董品の杖を買わせに送ることにする。彼が君にメモを渡し、吾輩がどうして欲しいか話すだろう。君、英語は読めるかね?」

 彼は頷き、開いた戸口を指差したが、同時に、恐怖にひきつって、肩越しに、閉じられた扉の方を凝っと見詰めた。

 閉じられた扉の把手がゆっくりと音もせずに回されていた。吾輩は直ぐ様外に出るのが良かろうと判断した。中にいるどでかい悪魔が疑いを持ってしまったら、若し彼奴が再び吾輩を見分けられる程に吾輩の顔を充分見てしまったら、吾輩の困難はいや増すばかりである。



                                           
同日、その後

 吾輩の船は御存じあの中国人の店から殆ど道の向い側にある。直線距離で八十ヤードと離れてはいない。しかし間には息切れ路線がある———開けた通りに沿って鉄道線を走らせるとは、面白い遣り方だ!

   乗船すると、吾輩は船橋にある海図室へ行き、吾輩が曾て巻き込まれたささやかな人命救助劇のお陰で商工会議所から手に入れた、結構な双眼鏡を上から降ろした。弁護する為に言っておくが、それはいい双眼鏡で、十六ギニー以下では釣り合わないと思われる代物である。それはともかく、吾輩はそれで見たいと思っていたものは見ることが出来た。吾輩は海図室の岸側の舷窓灯をふたつ、船首と船尾のをふたつ、回して開けておいたのである。そして吾輩はその麗らかな午後の間中晩になるまで、二時から八時まで、あの珍奇の店の観察をば続けたのである。


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