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蒸気船イオランテ
                                           
十月二十九日

 本日吾輩はフリスコの(おか )でケッタイな客に出会った。曲がりなりにも吾輩は客で、実の所その男の方は店屋であったのだが。それはどうにかして波止場地区にまで流れ着いて来た中国の骨董屋のひとつであった。外見から言えば、その男は半分中国人、四分の一黒人で、残りの四分の一は粗悪な混ぜ物であった。しかし彼の話す英語はその割には大変結構なものであった。

 「アナタ英国へ行くネ、船長 (センチョ )?」とその男は吾輩に訊ねた。

 「ロンドンの都だよ、君」と吾輩は言った。「しかし君が行くことは出来んぞ。うちは客は運ばないんでね。もっと高いのを当たるんだね。吾輩の船の前に定期旅客船がひとつある。小奇麗に塗装のしてある煙突の付いたやつだ」

 「ワタシ行きたくない」とその男は説明した。それから彼は一歩吾輩の近くに寄り、声を潜めて、素早く左右を見回した。しかし店の中には他に誰もいなかった。

 「ハコっこひとつ故郷 (くに )に送りたい、センチョ———長くて大きいハコっこネ。アナタ位長いヨ、センチョ」と彼は殆ど囁く様な声で言った。「アナタ彼の代金幾ら取る? 彼、今夜送るネ、暗い時に?」

 「今度は誰を殺したのかね?」吾輩は煙草に火を点け乍らそう言った。「湾を探して、良さげに重そうな石をひとつふたつ袋に詰めにゃならんな。死体を縛るのは専門じゃないんでね」

 その男の黄色く浅黒い顔がまるで灰色になり、両目が一瞬、完全なる恐怖の眼差しを湛えた。それからその中に幾許かの理解の色が差し始め、彼は幾分青醒めた様に微笑んだ。

 「それ冗談ネ、センチョ」と彼は言った。「ワタシ誰も殺さない。ハコっこには木乃伊が入ってる。ワタシ、ロンドンの都まで送らないといけない」

 しかし吾輩は死体について不用心な爆竹を鳴らした時に、彼の顔を見ておいていた。その男は酷く怯えているのであった。それに、何故彼は木乃伊の箱を普通の仕方でロンドンに送らなかったのか? また、何故暗くなってから船に運ぶなどと心配しているのであろうか? 要するに、「何故」があり過ぎる。あり過ぎるのである!

 その男は扉の所へ行って、通りの左右を見渡した。それから離れて、吾輩が居間ではないかと推測しておった店内にある扉の所へ行った。彼は後退りしてそっと扉を閉めた。それからカウンターの後ろへと回り込み、その下を覗き込んだ。彼は出て来て、私の方を熱心にちらちらと見乍ら、素早く、優柔不断な感じで店の中程を一度か二度行ったり来たりした。彼の額が汗びっしょりで、彼が自分の長衣の留め具を弄くっている時、手が少し震えているのが見て取れた。

 「さて、君」と、到々吾輩は言った。「何事かね? 君は是非とも誰かに話をする必要がある様に見えるがね。若し君が吾輩に打ち明けたいのだとしても、君の助けになってやると約束することは出来んが、しかしその後は堅く口をつぐんでおこうじゃないか」

 「センチョさん」と彼は言ったが、それ以上先へは進めない様であった。彼はまたしても店の扉の所へ行って外を見た。それからもう一度中にある扉の所へ行き、そしてそれを静かに開けた。彼は中を覗き込んでからそっと閉め、向き直って真ッ直ぐ吾輩の方へ歩いて来た。彼が腹をくくったのだなと吾輩にも分った。彼は吾輩の直ぐ傍までやって来て、吾輩が鎖の上に着けている護符に触れた。


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