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 「つまり?」

 「政治的諸観念。宗教。歴史。所有権。我々がこうしたものについて持っている、あらゆる観念はもう古臭くて、腐っていて、バラバラなんです。皆変わらなきゃならないんだと思いますね。物質的事実は変わったりしない」

 「例えばどんな?」

 「時速三百マイルの旅。殆どリアルタイムで送られて来るニュース。限り無い動力。過剰生産———少なく見積もってもこんな具合ですよ。健康管理。人口管理。自らの力で引き起こしたこうした変化に直面し、しかも生き残って来たことのある動物は曾て存在したことはなかった」

 「その歌は聞いたことがあるぞ、ディック。そうだね、私だって、お前と斉唱出来る位だもの。私達はこうした事柄についてはすっかり完全に意見を同じくしているんだと思うね。人間は今や新しい動物、新しくて異なった動物なんだ。人は百マイルも跳べるし、煉瓦の壁を透してものを見ることが出来るし、原子を爆発させ、星々を分析し、百万馬力の力で仕事に取り掛かることも出来る。他にも色々あれこれ。しかし結局のところ、人は曾てそうであった様な、弱くて小さな貧窮した猿みたいに振る舞い続けるんだ。人は掴み、嗅ぎ、口論し、恐れ、暴走し、下らん見世物をすっかり吹き飛ばしてしまうその時まで、巨大な火薬庫の中で遊ぶんだ。だろう?」

 「それは物事の表面ですよ、お父さん」

 「それが私達の立っている場所なのさ。それが今の状況なんだ」

 「それが今の状況、ね。確かに。分かりましたよ、『ネイチュア』でも読んだんでしょう。時代に遅れは取ってませんね」

 「そんなに長いことはもう無理だがね、ディック」

 「もう二十年は大丈夫ですよ。僕がそんなことを告げるのに、いちいち医者でなきゃならないこともないでしょう」

 「今ではもう行動には向かんよ。診療活動からは引退。もう直ぐにでもだ。そうとも。私にはモーゼの様に未来の遠き地が見える。だがお前は———お前は続けなきゃならん………。問題が持ち上がるだろう。六十年の人生が、お前の前に横たわっているんだ。途方も無い六十年がな。そいつをどうする積もりなんだ、ディック? 全て向こうの方からお前に遣って来るのか、それともお前の方から何か仕掛ける積もりなのか? 何かするのは、今はお前達の世代の仕事なんだものな。私達を責めてみたってダメだぞ。何も始まらん」

 「多分、情報を集める。自分達の想像力を再調整する。新しい振る舞い方を考え出す」

 何か内なる理由によって、年長者の方は何も応えなかった。

 「私が思うに」と彼はほどなく再開した。「何等かの精神的再生 (ルネッサンス )は確かに可能だとは思うんだ。充分な再生がな。だといいんだが。しかしそうした兆候は殆ど無い様に思うね。お前が話したその適応と云うやつ………。人間性には多くの教育不可能な性質が存在するんだよ。この場所で私は人類の或る小さな一区域を観察し、この世界に新しい一個人を引っ張り出し、古い者達が脱落して行くのを見、この生き物の内側と下側と裏側とを見て来た。それらは奇妙で、弱い性質だ。卑しくて。悪意に満ちて。一種の頑固さもある。知っとるかね、連中は殆ど何時だって、自分達のことについて私にウソを()くんだよ。私は連中の医者だよ、その私に嘘を吐くんだ。自己防衛的な虚栄からだね———殆どは。連中は助言を求めて遣っては来るが、事実を偽り、薬を誤魔化すんだ。私に協力的なのは極く少数だ。連中は愚かだよ。滅茶苦茶に愚かだ」


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