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 そして一万五千昨日、君と私とが初めて互いを見詰めた時、その時既に私達の未来は、丁度それが実際にそうであったところのものであったのではないだろうか? それは勿論私達に未来的に関係していて、それ故に手が届かないものであった。しかしそれはずっとそこに在って、私達を待ち受けていたのではないだろうか? 地球の中心のことを、それが手が届かないからと云って、誰かがそこまで穴を掘って行くまではそこは空白で何もないのだと考える者はいないだろう。

 そして実と言えば私は、私達が出会ったその瞬間、未来が実際の所全面的に手が届かないものであったのだと確信することが出来ないでいる。君の瞳を覗き込んだ時、私は(実に良く憶えている!)、長い間幻想と片付けてはいたが、しかし忘れ難い、びっくりする様な奇妙な経験をしたのだ。君の瞳は私にとってはまるで窓の様で、そしてまるでカーテンが両側に引かれ、広い、予期しなかった未踏の展望を、距離の為にぼんやりとした眺望を、しかしそれにも関わらず我々の平凡な運命についての間違えようのない予見を、一瞬にして明らかにしたかの様だった。私は無論、それをはっきり見ることは出来なかった。それは過ぎ去って行ったし、そして私は少年で単純だった。しかし私は、今では私達に降り掛かった正にそのものであると認識しているものを、育つのに斯くも長い時間が掛かり、ほんのここ数年で花開いたものを、見た、或いは見たと思った。今日、私達の髪には白いものが混じり、顔には歳月が刻み込まれている。私達は最早昔と同じ様にやることは出来ない。しかし花は花開いたのだ。そして奇妙にもそれは、種が播かれもしない内に私が垣間見た正にその花だったのだ。

 幻想、純然たる幻想? そうかも知れない! しかし我々が時と永遠とについて考える時、知性はよろめくのだ。我々がそれらについて問い得る最も鋭い問いは、恐らくは間違って形成されたのであり、今だ羽が生え揃っていない人間の心性の羽搏きでしかないのだろう。

 この宇宙 (コスモス )を存在へと吹き飛ばした太初の創造的な行為は、今日と云う日と共に、死滅する最後の星の最後の微かな暖かさと共に、永遠の中で共-現実的であるのかも知れないし、そうでないのかも知れない(或いはどちらでもないかも知れない)。


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