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 私が何をすべきか肚を決める前に、獣が私を見付け、と云うよりは私を聞き付け、列車の、或いは近付いて来る砲弾の様な唸りと叫びを上げ乍ら、私の方へ向かってドシンドシンと向かって来た。私は逃げた。だが直ぐに自分が地面を失ったことに気が付き、私は混沌とした音の茂みへと突っ込んだのだが、それは私の前方から聞こえ、高音部で沸き上がっていた。自分の音楽的形態と色彩を出来るだけ周囲の荒野に適合させつつ、私は登り続けた。こうして私は、身を隠し、且つあの生き物の触手の届く範囲から逃れようとしたのである。高さの所為で殆ど気を失いそうになり乍らも、私は、自分の音楽的な手足を、その位置で固定している物体のパターンと統合し乍ら、止まり木を選んだ。こうして錨を下ろし、動かず凝っと、私は待った。

 獣が今や、接近しつつ私を探し求めて鼻をひくつかせ乍ら、よりゆっくりと動いて来ていた。やがてそれは私の真下、バスの遙か下に身を横たえた。その体は今や、唸りとげっぷの気味の悪い不協和音としてはっきりし過ぎる位にはっきりと聞こえた。そのきしる様な触手は、私の下で、まるで崖の表面にしがみつく男の下で揺れる木々の頂きの様に動いた。まだ探索を続け乍ら、それは私の下を通り過ぎて行った。ホッとしようにもその態だったので、私は一瞬意識を失い、気を取り直す前に数オクターヴ滑り落ちてしまった。動いたことで私の位置がばれてしまった。肉食獣が戻って来て、よたよたと私の方に向かって攀じ登り始めた。高さの所為で直ぐその進行は阻まれたのだが、一本の触手、金切り声を上げるひとつのアルペジオが私の所まで届いた。必死になって、私はもっと高音部へと身を退こうとしたのだが、怪物の四肢が、私の肉の音パターンへと編み込んで来た。半狂乱になって藻掻き乍らも、私は息苦しいバスへと引き摺り下ろされた。そこで音の牙と鉤爪が苦痛に満ちた仕方で、手足から手足へと私を引き裂いた。

 そして突然、コンサート・ホールで、椅子の片付けられる騒がしい様子に、私は目を覚ました。聴衆は帰り支度を始めていた。


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