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 私は直きに、自分の音階の上下運動には可能限界があることに気が付いた。多くのオクターブが私の通常の位置を下回る或る点に於て、私は圧迫と停滞を感じ始めた。 私が懸命に下方へ向かうと不快感は増大し、最後には、一種の気絶状態に陥り乍ら、元々の音楽的水準へと浮き上がって行った。この水準の遙か上方へと昇って行くと、最初は心が浮き立つのを覚えた。だが多くのオクターブの後に、何かクラクラと目眩に襲われ、そしてやがては、私の通常の棲息地である僅かばかりのオクターブへとよろめき乍ら沈み込んで行った。

 「水平な」次元に於ては、私の移動力には何の限界も無い様だった。そして、私が消えた妖精を探し求めたのは、主としてこの次元に於てであった。私は変わり続ける音調の風景を推し進んだ。或る時は、それらは遠く離れてぼんやりとした音楽的物体の「水平な」眺望の中へと、或いは、深く聳える「音調」の眺望の中へと、私の上下にある何百と云うオクターヴを露呈させつつ、展開して行った。或る時は、濃い音楽の「植生」によって、視界が、精々二オクターヴの高さしかない単なるトンネルにまで狭くなった。そうした通路に沿って進むのは大変な困難を伴った。或る時は、貫通出来ない物体を避ける為に、遙か高音部かバスにまで攀じ登らなければならなかった。或る時は、空白の領域で、止まり木から止まり木まで跳躍しなければならなかった。

 到々私は疲れ始めた。運動に嫌気が差し、知覚が不確かになっていった。その上、私の身体の形態自体が、その心地良い自足感の何程かを失ってしまった。本能が今や、私を或る行為へと突き動かし、私の知性はそれに驚いたが、私は躊躇せずに実行した。幾つかの美味しそうな小さな音楽的物体達に、非常に単純だが活発な、音色と和音の幾つかの持続性のある小さなパターン達に近付いて行って、私はそれらを貪り食った。つまり、私はそれぞれの音パターンをより単純なパターンへと分解したのだ。そして私はそれを、私自身の和音形態の中へと組み入れた。それから私は元気になって先へと進んだ。

 やがて私は、私の方へ向かって転げ回って右往左往し、大慌てで押し合い圧し合いする知性ある存在の群衆と面と向き合うことになった。それらの感情の音色が恐れと戦慄とを表していたので、私自身の音楽的形態もまたそれに感染してしまった。それらの半狂乱の進路は殆ど高音部にあったのだが、それを回避する為に、急いでバスへ向かって数オクターヴ移動して、私は、何が起きているのか教えてくれとそれらに叫び掛けた。それらが飛び過ぎる際に、「大きな悪い狼」とでも訳せるであろう叫びだけが聞き取れた。

 これが非常に若い生物達の群れであることが判ると、恐怖は去って行った。そこで私は安心させる様に笑い掛け、彼等が、私の求めている愛らしい存在に遭遇したかどうか尋ねてみた。そして私は、自分がそれを必要とした時に彼女の音楽名を思い出せたのが余りにも容易く、また甘美であったので、独り笑いごちた。彼等は遠方へと消え失せる際に、子供じみた悲嘆の込められた高まる悲鳴で答えただけだった。

 動揺した儘、私は旅を続行した。やがて私は、非常に遠くではあるが不吉な唸りの聞こえる、広大な空白領域に入った。私は、もっと耳を澄ませようと足を止めた。それは近付いて来ていた。その形が遠くから出て来て、細部まで聞き取れた。直ぐに私は、それが単なる子供っぽいお化けなどではなく、一匹の巨大で獰猛な(けだもの )であることに気が付いた。その四肢はバスの重々しい動きで、驚異的な速度で驀進した。その荒々しい音の触手が、高音部へ向けてより高く細くピクピクと揺らめき乍ら、獲物を求めて嗅ぎ回った。

 恐らく私の愛すべき連れの身に降り掛かったであろう運命をようやく悟って、私は恐怖の余り気分が悪くなった。私の音楽的身体全体が、微かに震え、揺れ動いた。


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