前の頁へ
12 3 4

次の頁へ



 多彩だが殆ど変化の無い背景や風景とは対照的に、生きているもの達は絶えず運動を続けていた。常にそれらの個体性、それらの調性パターンの基本的同一性を保持しつつ、それらは「水平な」次元へと退いたり接近したり、或いは音階を上か下へと走って行ったりした。 それらはまた、音楽的身振りの絶えずざわめく演奏に耽っていた。音階を上か下に移動する途中で極く頻繁に、これらの生き物達のひとつは他のものに遭遇した。そうするとそれら二つは、池の波の横断列の様に、あっさりお互いを貫通して擦れ違った。さもなくば、見たところ、それらが「衝突」すること無しにお互いに圧縮して通り過ぎることが出来るように、形態に何等かの相互再調整が施された。それからこの世界に於ける衝突は、我々の音楽に於ける不協和音によく似ていた。或る時は生き物は、衝突を避ける為には、その音調形態に僅かな変更を生じさせれば良かっただけなのだが、時として遠くへ逸れて、謂わば他の次元、私が「水平な」次元と呼んでいた次元に動かなければならなくなることもあった。こうして、それは暫く聞こえなくなるのだった。

 また別の発見が、再び奇妙な馴染み深さを伴って、私に閃いた。私自身が、この世界に於ける「肉体」を持っていたのだ。これはあらゆる音物体達の中で「最も近いもの」であった。それが余りにも「近」く、余りにも分かり切ったものであったので、それが動き出すまで、私は全く気が付かなかった。これは不意に起こった。動いている生き物達のひとつが、私の音楽的身体の端の部分にうっかり衝突したのだ。私の実体が僅かに侵犯され、それは小さな鋭い痛みを伴って私を突き刺した。直ぐ様、最初は反射的に、それから意図的に、私はそれ以上の摩擦を避ける為に、自分の音楽的形態を再調整した。こうして私は、この世界に於て任意に行動する力を発見、或いは再発見した。

 私はまた、音楽的身振りの大音響の煌めきも放ったが、それが意味のある台詞であることを、私は即座に悟った。実のところ、私はその世界の言葉でこう言ったのである、「この野郎、それは私の爪先だったんだぞ」。その別のものから、回答と弁解的な呟きが届いた。

 すると新顔がひとつ静かな遠方から、はしゃぎ回る我が連れに合流しようと接近して来た。この存在は私にとって非常に魅力的であって、同時に痛切に覚えのあるものでもあった。彼女のしなやかな姿、その叙情的な、しかし微かに風刺的な動きは、ジャングルを理想郷 (アルカディア )へと変容させた。嬉しいことに私は、自分が彼女にとって見知らぬ者と云う訳ではなく、また全く魅力が無い訳でもないと云うことに気が付いた。快活な身振りで、彼女は私をゲームへと手招いた。

 初めて私は、自分の音楽的な手足の姿勢を変えるだけではなく、音階の次元と「水平な」次元の両方で、肉体的に動いた。私が近付くや否や、彼女は笑い乍ら私から遠くへと滑り去った。私は彼女に着いて行ったが、しかし彼女はアッと言う間にジャングルの中へと、遠方の静寂の中へと消え失せてしまった。当然私は彼女を追い駆けることにした。私はもう彼女無しでは生きていることが出来なかったのだ。そして、我等二人の本質が織り成す絶妙のハーモニーの中で、私は素晴らしい創造的な可能性を思い描いた。

 この世界に於ける移動の方法と体験とについて簡潔に説明をしておこう。私は音楽的手足を伸ばし、どちらかの次元かまたは両方に於て遠くにある、何か固定した物体の音パターンの中へとその四肢を編み込むことによって、その物体の上に足掛かりを得、それに向かって全身を引き付けることが出来ると云うことが判った。そこから私は、更に尚遠い地点へと向かって、別の手足を伸ばすことが出来た。こうして私は、テナガザルの様な速度と精度で、音の森林を攀じ登り回ることが可能となったのである。どちらの次元でも、動く時には、私は自分の動きを、単に私の周囲の世界の反対方向への運動として体験した。近い物体は、より近くなるか、またはより近くなくなった。離れた物体は、より離れてはいなくなったか、更に遠くへと滑り落ちて消え失せて行った。同様に、音階の上下へと動く私の動きは、私にとって、他の全ての物体の音程の深まりか高まりとして感じられた。

 移動中、私は他の物体からの抵抗を一切経験せず、唯不協和音が衝突する所があったが、それは概ね、自分の姿を変えることによって回避することが出来た。私自身と他のものの間の或る程度の不協和音には殆ど抵抗は無く、痛みも全く起きないのだった。実のところ、その様な接触は楽しいものでさえあったかも知れない。だが強過ぎる不協和音は苦痛であり、維持することは出来なかった。


前の頁へ
12 3 4

次の頁へ

inserted by FC2 system