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 屍出虫は、あらゆる風のうねりにその麻痺した目を上げ乍ら、死んだ草の上を攀じ登った。風は悲しみを、生命なき木々の薫りを、押し花の様に黄色く乾燥した玻璃金雀枝の蕾が微かにカサカサ云う音を運んだ。

 流れに沿って、乾き切って霜枯れした腐った水草が、泥の上に固まって転がっていた。私はそれらの青褪めた茎が、物憂げな流れの中を蟲の様に揺れるのを見た。

 屍出虫は朽ちかけた切り株に辿り着き、そして今度は決め難ねている様だった。私は湿って白っぽくくなった倒木に腰掛けたが、それは触れると気の抜けた香りを大気中に残して崩れ落ちてしまった。頭上高く烏が重たそうに起き上がり、パタパタと原野の中に出て行った。風がガサガサと強張った山査子 サンザシ を鳴らした。雨がひとしずく私の頬に触れた。私は生命の徴候を探して流れを覗き込んだ。そこには何もなく、唯脚無蜥蜴 アシナシトカゲ だったのであろう形なき生き物が、腹を上にして泥の底に横たわっていた。私は木切れでそれに触れてみた。それは硬直し、死んでいた。

 模造紙の様な玻璃金雀枝の蕾の間を吹き抜ける風が森を絹の様なサラサラと云う音で満たした。私は手を出して黄色い花に触れた。それはまるで葬儀の枕頭に載せられた永久花の様な感じがした。

 屍出虫はまた動き出した。何かが、恐らくは黴臭い蜘蛛の巣が、一本の脚に絡み付き、彼はそれを引きずり乍ら骨折って森の中を進んだ。鼬か長元坊 チョウゲンボウ によって引き裂かれた小さな野鼠が、潰れた土竜 モグラ が、毛皮だか羽根だかのちっぽけな死んだ綿毛が、そう遠くない所に、神か人か兄弟たる生き物によって襲われて横たわっていた。そして屍出虫はそのことを知っていた——いや、神のみぞ知るだ! しかし彼はそれを知っていて、死者との逢瀬へと急いだのだ。

 やがて彼の通り路はグロワ川からの潮口の縁に沿う形になった。私は葉のない枝々を通して灰色の水を見下ろし、小さな蛇が頭を擡げ、水面下の雑草の固まりから磐の陰に泳いで行くのを見た。黒い沼地の何処かにはシギ もおり、その物憂い、執拗な呼び声が沈黙を呪った。

 私は屍出虫が何時飛ぶのだろうかと不思議に思った。と云うのも彼はその気になれば飛べるからだ。彼が這うのは、死者が近くに、非常に近くにいる時だけなのだ、汚れた蜘蛛の巣はまだベタベタと彼に絡み付き、彼の前進はそれによって遅らされていた。私は一度、茶色と白の縞馬の様な縞をした小さな蜘蛛が、彼の行路の中を素早く走り廻るのを見たのだが、しかし屍出虫は向きを変えて二本の棍棒状の前脚を忌わしげに懇願する様な構えで挙げ、しかも尚その下には何か知ら威嚇する様なところがあった。蜘蛛は引き下がってコソコソと石の下に入った。

 何か死にかけているもの——病んで死に近付いているもの——が大地の面に倒れ伏す時、頭上の青色の中を何かが動き、濠の様に漂い、それから別のもの、そしてまた別のもの達が続く。底知れぬ紺碧の丸天井の中から生じて来るこれらの斑は玉虫蠅だ。彼等は〈死〉を待ち望んでやって来るのだ。

 屍出虫もまた〈死〉との逢引を取り決めるが、待つことはない。〈死〉が先に来なければならないのだ。


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