『聖なる脅威』
(The Holy Terror, 1939)


 ルド*・ウィットロウは赤ん坊の頃から大変なきかん坊(Holly Terror)として、周りの人々から恐れられていた。我が儘で攻撃的な子供はやがて歴史上の偉大な覇者達と自分とを重ね合わせて夢見る利発な少年へと成長し、そしてケンフォード**大学へと進学すると、その優秀な頭脳を駆使して壮大な野心を実現する為に具体的な行動へと取り掛かった。巧みな弁説と持って生まれたカリスマ性によって人々の圧倒的な支持を得、着実にその名声を獲得していったウィットロウは、やがて悪魔的な才知の限りを尽くして旧い老人共が支配する既存の政党を乗っ取り、新しく自分の政党に作り変えてしまう。〈普通の感覚 Common Sense〉を持った〈普通の人々 Common Men〉による〈普通党 Common Party〉は、世界の根本的な改革の必要性を訴え、民衆の支持を得た。やがて時代は戦争へと突入するが、最後に立っていたのは、ウィットロウとその仲間の優秀なる飛行機乗り達だった。ここに、史上初の世界国家機関、〈世界市民サーヴィス World Civil Service〉が誕生した。

 だが、世界革命 World Revolution の時期を過ぎて、倒すべき敵がいなくなってしまい、振り上げた拳の落とし所を見失ってしまったウィットロウは、やがて自分自身が作り出した影に怯える様になってゆく。〈世界監督官 World Director〉と云う地位に就き、事実上は〈世界の独裁者 World Dictator〉として絶対的権力を行使する立場にあったウィットロウが、超人、神聖皇帝、反キリストと化し、長年共に闘って来た友人すらも信用出来なくなってしまうこと、それはその儘全体主義的な恐怖政治の始まりを意味していた。歴史に於てウィットロウが果たすべき役割は、もう何処にも残されていなかったのだ………。


 *「ルドルフ」と云う名前が印象的である。読者は思わず「ルドルフ・ヒトラー」とでも続けたくなるのではないだろうか。

 **Camford:CambodgeとOxfordを合わせたものであろう。


 本書は、ウェルズの社会変革に対する二面性が最も先鋭的な形で現れた作品で、ウェルズが自分自身の中の〈ヒトラー〉を最も強く意識して書いたものと思われる問題作である。

 作中では何度かJ.フレイザーの『金枝篇』についての言及が為されているが、ウェルズはこの中の「生贄としての王」と云う概念に、つまり、一時的に強大な権力を与えられはするが、役目が終わればさっさと殺されて次の王にその座を譲る王、と云う概念に惹かれたらしく、新世界秩序を打ち立てる為の一時的な必要悪の存在について悩んだと思われる跡が見られる。全体主義的な強権政治によって、人類を旧い混乱した状態に戻そうとする力を徹底的に弾圧する、と云う設定は、本書に限らず、例えば『来るべき世界の姿』(1933)を代表格として、ウェルズが何度か用いて来たものである。だがその一方で、ウェルズは思想や言論の自由を説き、本作の数年後には人権宣言まで作り上げ、また第一次大戦後は、人類の改革は教育によって行われなければならないと云う信念の下、一連の啓蒙書や警世の書を世に送り出したりもした。これは一見相矛盾する様に見える。

 細部を端折って簡単に言うならば、この縺れの謎は、恐らく、フィクションと云うものが持つアンビバレンツな性格によって答えられるだろう。ノンフィクション作品の中では、ウェルズは勿論世界を生まれ変わらせる為に戦争や恐怖政治が必要であるなどと云うことは無論書いていない。彼はひたすら教育と知性の向上を説き、「適応か破滅か」と云うスローガンで脅しをかけたりはしたものの、基本的には平和的な手段を勧めている。

 だが現実には、何十年もの彼の努力にも関わらず、世界には一向に改善の兆しは見えず、諸国家は愚かにも薄っぺらなナショナリズムにその権力を売り渡し、再び全面戦争と云う巨大な愚行を繰り返そうとしていた。そこで自身可成りのきかん坊だったウェルズが再び癇癪を起こし、「こんな生温い方法では百年経ったって新世界秩序なぞは生まれて来やしない」などと思ったのであろう、その鬱憤を小説と云う「若しも………」と云うあり得るべきではない (、、、、、、 )仮定が許される形式の中に凝集して、つまりフィクションと云うオブラートに包んで、まともに口にしてはいけないことどもを語ったものだと思われる。作り事としてならば、彼が望んだ新しい世界に、現実の様なまどろっこしい遣り方ではなく、一足飛びに到達することが可能となる。小説家としてのウェルズは、一方でノンフィクション作品の中で語っていたのと同じ最終目標を語りつつ、他方でその高い理想を台無しにしかねない、様々な残酷な過程を、物語に於ける歴史的事実の必然と云う隠れ蓑を用いて語っていたのである。理想家としてのウェルズを論じる際に忘れてはならないのは、彼のこうした作り事作家としての性格、一面的な解釈からは擦り抜けてしまう隠された葛藤である。



以下の文献、レビューも参照

 The Holy Terror (House of Stratus, 2001)

 Norman&Jeanne MacKenzie, Life of HG Wells: The Time Traveller-The Life of H. G. Wells (Weidenfeld & N,1973/06/14)
  ノーマン&ジーン・マッケンジー『時の旅人 H.G.ウェルズの生涯』(村松仙太郎訳、早川書房、1978)
  ノーマン&ジーン・マッケンジー『時の旅人 H.G.ウェルズの生涯 上下』(村松仙太郎訳、早川書房、1984)
  第24章で数頁に亘って『聖なる恐怖』について解説している。

 John Carry, The Intellectuals and the Masses: Pride and Prejudice Among the Literary Intelligentsia, 1880-1939 (St Martins Press, 1993/12)
  ジョン・ケアリ『知識人と大衆—文人インテリゲンチャにおける高慢と偏見1880‐1939年』(東郷秀光訳、大月書店、2000/11)
  第2部でウェルズの二面性について論じている。 



第2章第7節 へはこちら から



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