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 そして万事がこの調子だった。名前は肝腎にして重要だった。存在するもの達をその秘めたるファースト・ネームで呼ぶことは、特に反対の性を持つ存在達の場合には、小規模の秘蹟なのだった。それでローエングリンに対するエルザの彼〔か〕の早まった不敵さの物語は、何時も彼の畏怖の感覚に触れるのだった。「名前の中には何が?」彼にとってこれは重大な問いだった——生と死に関わる問いだった。名前を誤って発音することは酷いへまだったが、間違って名付けることはそれをすっかり逃してしまうことだった。こうしたものは真の生命を持たず、精々が直ぐに萎れてしまう様な活力を持っているだけだった。アダムはそのことを知っていた! それで彼はその幼年時代、奇妙な動物達の幾つかについて正しい呼称を「発見」しなければならなかったアダムの困難についてじっくりと思案した……。

 年を取るにつれて、勿論、これら全ては相当量が霞んでいったが、彼が名前に於ける現実性の感覚を完全に失うことはなかった——真の名前の重大さと、偽の名前の馬鹿らしさと、誤った発音の残酷さとをだ。彼は知っていたのだ、遠い未来の何時か或る日、何か素敵な女の子が彼の人生に入り込んで来て、彼女自身の真の名前を音楽の様に歌い、その唇が子音と母音を形作る通りに、彼女の全人格がそれを表現する——そして自分が彼女を愛するだろうと云うことを。彼自身の名前は、馬鹿げた憎むべきものであるにも関わらず、応えて歌うだろう。それらは文字通りの意味で共に調和 (ハーモニー )を成し、同じ和音 (コード )の中のふたつの(ノート )の様に互いを必要とするのだ……。

 それで彼はまた詩についての神秘的な見通し(ヴィジョン )も持っていた。彼に欠けていたのは——こうした気質の者は常にそうなのだが——釣り合いの感覚であり、因果関係を調整する慎重な均衡だった。そしてこうした具合だったので、疑いもなく、彼の冒険は「曰く言い難い」ものとなった。何が実際に起こったのかを、ひょっとしたら起こったかも知れないことから、つまりは彼が見たと思ったものを、確実にあった (、、、 )ものから解きほぐすのは難しくなった。

 彼の初期の人生は——貧しい地方郷士だった彼の祖父をうんざりさせたのだが——痛ましい失敗だった。彼はあらゆる試験に落第し、あらゆる機会を台なしにし、そして最後には、年に五十ポンドの自費で以て、彼に何が起ころうが誰も大して気にしないロンドンへと腰を据え、秘書的な性格の奇妙な仕事があればどんなものでも就いてみた。どれもこれもが長続きせず、彼は容易に不満を募らせ、自分の求める類いの冒険を秘め隠しているかも知れない「仕事」を見付け出そうとした。その時その時の仕事にそうした可能性がないことがはっきりするや否や、彼はそれに飽き飽きして別のを探し求めた。そして探索は長引き、希望は見えて来なかったが、それと云うのも彼の探し求めていた冒険は普通の種類のものではなく、彼にとっては実に以て非常に退屈である俗悪で騒がしい世界から脱出する手段を与えてくれる様な何かだったからなのだ。彼は自分に新しい天国と新しい大地とを告げ知らせてくれるであろう冒険を探し求めた。つまり、少年時代に満喫したものの、教育や散文的な時代との衝突が彼の最近の意識から拭い去ってしまったあの驚異と歓喜の内的領域を、実際に元に戻してくれる訳ではないにしても、確証してくれる何かを。要するに彼は、魂の厳然たる冒険を探し求めたのだ。

 見た目には、二十五の年になるまで彼にはずっと名前がなく、それで或る委員会がその問題の上に胡座をかいて、彼を描写するのにうってつけの響きを選んだと言っても通じただろう。即ちスピンロビン——ロバートと。と云うのも、彼は自分自身を見たことはなく、自分のあの内なる大草原に逃げ込んで「ロバート・スピンロビン」と口に出して呼んだので、彼にそっくりな人間がいればきっとその名前の権利をペラペラと主張していたことだろう。


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