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 この線に沿って考えてみると、過日或る友人が私に言ったことで非常に興味を惹かれたことがある。彼は今日の一流大学のひとつに勤める或る数学教授に会ったのであるが、その人は私の本を読み、非常に気に入ってくれたらしい。

 幻想文学は微積分法と同じく位大変に彼の興味を惹いたと云うことである。彼は幻想文学と文体 スタイル の明晰性が滅多に両立しないのを知って頭を悩ませた。それから彼が言うには、彼の心にとっては、全ての幻想小説は詩なのであり、どう云った構成をしていようが、散文であろうがそうでなかろうが関係ないと云うことであった。其処で彼は、彼の心の中では、真の幻想文学とは詩プラス数学的な明晰性なのであると云うことを強調した。「高等数学と高等物理は共に『真に幻想的なものの領域』にあるのだ」と彼は言った。

 これには面喰らったが、しかしこの教授は、私の物語の中で印象深かったのは、内容よりもその文体 スタイル であると続けた。実際、彼は自分がそれらを文体の為だけ 、、 に読んだのであると言った。彼は、この文体には『明晰さ』があり、『普通でないもの』を持っており、『見慣れぬもの』を読者に対して見慣れたものとしていると云う点に於て際立っていると感じたのであった。これが正に全ての核心なのであるが、彼の考えによれば、幻想的領野に於ける著作 ライティング は、「良い 、、 無価値 、、、 かどちらかでなくてはならない。五分五分 フェアー にと云う訳にはいかない」のである。

 そして私の考えていることは全面的に真実になのである。今日では幻想的と云う肩書を持つ物語が——それらが本当にはそうではない場合も含めて、余りに多く書かれ過ぎている。それらの中にはいい物語も沢山あるが、殆どは幻想的 、、、 ではないのである。




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