ウィリアム・オラフ・ステープルドン
(William Olaf Stapledon,1886-1950)


生涯

 イギリスの哲学者、社会運動家、そして比類なきSF作家。1886年5月10日イギリスのチェシャー州ウォラシー(現マージーサイド、リヴァプールの近く)に生まれる。家は祖父の代からスエズ運河で船に水と石炭を提供する会社をやっていた為、幼時はエジプトののポ-トサイドで過ごし、孤独な少年時代を父から古典文学等の教育を受けて育つ。その頃から社会主義や自然科学に興味を持ち、不可知論的な傾向を強める様になる。オックスフォードのベイリアル・カレッジに学んだ後は父の会社で働いたりする傍ら、グラマースクールや労働者教育協会で教え始める。第一次大戦中は「フレンド教会*救急隊」の一員として活動。1919年に結婚、20年代にはその後長年勤めることになるリヴァプール大学で教え乍ら、社会学や哲学、心理学等の論文を発表。1930年に初の小説、『最後の、そして最初の人類』を出版、アーノルド・ベネットやJ.B.プリーストリー等から好評を受ける。その後も続々と傑作を世に送り出し、SF界に於ける名声を高める。戦前や戦中は平和主義の主張に則って旺盛な執筆活動を展開し、戦後アメリカを訪れた際には熱烈な歓迎を受けた。1950年に冠状動脈閉塞で亡くなると、その遺灰はカルディの崖から風に乗せられた。


*クエーカー教徒のこと。僧侶の類いを持たず、平日は職業人として働く。活動は無償の善意に基づく。




解説

 日本のSF界に於いては、ステープルドンは専ら次のニ作品によって知られている。人並み以上の知力を持って生まれて来た少年ジョンとその仲間達の驚くべき行跡とその悲劇的な最後を描いたミュータントものの傑作『オッド・ジョン』(1935)と、手術によって人間並みの知力を持つ様に至った犬、シリウスと、「彼」と一緒に育った人間の少女との悲恋を描いたこれもミュータントものの『シリウス』(1944)である。が、SF作家としての彼の最大の業績は処女作『最後の、そして最初の人間』(1930)と、これと世界観を同じくする『スターメイカー』(1937)である。

 この二作品では、様々な形態の文明や人種、或いはもっと広く知性体が興っては滅び、また次の時代がやって来る様が執拗に繰り返し描かれている。その規模の殆ど言語に絶する大きさ、社会形態や心理形態にまで及ぶその描写の緻密さ、一頁毎に斬新なアイディアが詰め込まれたその奇抜さ、どれを取っても今だに余人の追随を許さない。これらに匹敵する作品は以前には存在しなかったし、また今後も、現在の宇宙観が重要な変化を被る様なことがない限り、書かれることはないだろう。これはファンの贔屓目で言っている訳ではない。

 ブライアン・オールディスは『十億年の宴』(1973)*に於て、ウェルズの後継者として長々とステープルドンに対して紙面を割き、こう結んでいる。


 「『最後の、そして最初の人類』や『スターメイカ−』は最早、SFの妥当な限界を遥かに超えた高みにある。或いは寧ろ、ステープルドンは偉大なる古典の見本であり、科学的概念の巨大な存在論的叙事散文詩への転換を寸分の隙もなく完璧に成し遂げた、究極のSF作家であると言うべきかも知れない………(中略)………。  イギリス文学の保存処理に努めている棺桶職人や葬儀屋共が、何故ステープルドンを批評と云う名の呪文の対象から完全に排除しているのか、これは全くどんな推測も正気では立ち向かえない問題である………(中略)………『スターメイカー』は、まさしくSFの偉大で円熟した聖典のひとつである———恐らく結局は、その素晴らしい無名さと無視の中にこそ、そう呼ばれるに相応しい何かがあるのだろう」


 どうやら彼の作品には、一度読んだ者を熱狂な虜にしてしまう性質があるらしい。一般レベルに於ける知名度の低さにも関わらず、彼の雄大なるイマジネーションを讃える者は後を絶たない。

 ステープルドンの筆致は、一見非常に冷徹である。感傷的な作者ならこの一章、いや1頁分を描くのに丸々一冊を費やし、それが如何なる個人的情緒を我々に呼び起こすかと云うことについて長々と書き立てる筈だ。だがステープルドンはそうしない。便宜上の語り手は一応登場するものの、この二作品に主人公は存在しない。あるのは只、歴史的な鳥瞰が齎す果てしのない人類または知性体の営みの流れだけ。その余りの非-人間性———或いは没-個人性は、読む者の想像力をして過剰な飛翔を強要して止まない。

 が、ステープルドンは本質的にヒューマニストである。目まぐるしい有為変転の中にあって尚、愛を信じ、実行することは如何にして可能なのか、壮大なドラマの中のちっぽけな一幕でしかないと云う事実の前に、幸福と平和を求める我々の営みは意味を持たないのか、彼はそれを再三自問する。**

 彼の時代、20世紀初頭は、今日迄繋がる現代的宇宙論がその基本的な姿を確立した時代であり、また両大戦の間には様々な科学技術が大衆化、日常化し、効率の良い大量生産と大量破壊の手段が一挙に世界の様相を変えてしまった。***彼はこれらが人類の想像力に齎すイメージの空漠さ、そこから帰結する人間性の没落と云う事態に、物語と云う具体的な形を与えて読者の前にまざまざと提示することによって直感的に問題化し、人類がその異常さを充分自覚し、その上で目の前の現実と取り組んでゆかねばならないことを訴えかけた。瑣事に囚われより大いなる世界が存在していることを閑却してしまっている卑小な日々に対して、彼の言葉は今でも我々に問い掛けるのである。「君は自分が人類の一員であることを自覚しているか。今日人類が住んでいる宇宙がどんなものか君は自覚しているか。そしてその悲痛なるギャップを君はきちんと厳粛に受け止めることが出来るか」………それは20世紀と云う時代が作り上げた新しい神学———宇宙論を含めた意味に於ける世界学としての神学と言えるかも知れない。


*ブライアン・オールディス『十億年の宴』(朝倉久志、酒匂真理子、小隅黎、深町眞理子訳。東京創元社、1980)

**倫理学や社会思想等の分野に於ける彼の業績は今日殆ど知られていない。どの哲学辞典や哲学史を繙いてみても、「ステープルドン」の名前は出て来ないだろう。死後、哲学者、社会運動家としての彼の名声は急速に衰えた。が、彼がその困難な時代にあって人間の在り方を必死で模索した思想家のひとりであると云う事実は記憶しておいて然るべきである。彼のフィクション作品を理解するに当って、ノンフィクション作品の存在を念頭に置いておくことは決して無駄ではない。

***サミュエル・リリー『人類と機械の歴史 増補版』(伊藤新一、小林秋男、鎮目恭夫訳。岩波書店、1968)を参照。




参考文献一覧

 Leslie A. Fiedler, Olaf Stapledon: A Man Divided (Oxford University Press Inc, 1983)

 Harvey J. Satty & C. Smith Curtis, Olaf Stapledon: A Bibliography (Bibliographies and Indexes in World Literature, No. 2) (Greenwood Pub. Group, 1984)

 Patrick A. McCarthy, Charles Elkins, Martin Harry, The Legacy of Olaf Stapledon: Critical Essays and an Unpublished Manuscript (Contributions to the Study of Science Fiction and Fantasy) (Greenwood Pub Group, 1989)

 Robert Crossley, Talking Across the World: The Love Letters of Olaf Stapledon and Agnes Miller, 1913-1919 (University Press of New England, 1987)

 Robert Crossley, Olaf Stapledon: Speaking for the Future (Utopianism and Communitarianism) (Syracuse Univ.Pr(Sd), 1994)

 Robert Crossley, An Olaf Stapledon Reader* (Syracuse Univ. Press, 1997)
 *この本の内容は、「リンク集」の「Myth Maker」と略同じ。



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