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 私は神が宇宙 (コスモス )を創造し、その成長を見守り、最終的には破壊するのを見たことがある。

 嘘吐きだ気違いだと、私のことは好きに呼ぶがいい。私にはユーモアが欠けているとか、私の主張が涜神的でしかも悪趣味だと、言いたければ言うがいい。だが私は実際に神を見たことがあるのだ。私は彼が創造し、見守り、破壊するのを見たことがあるのだ。

 私はきっと肉体的な目ではなく心の目を通して見たのに違いない、あの全体験は私の想像力の秘められた泉より湧き出て来たものに違いないと、そう私は自分に言い聞かせている。しかし私が目撃したあの溢れんばかりの幻想的な出来事が、外的な視力 (ヴィジョン )によって啓示されたものであれ、内的な視力によって啓示されたものであれ、あれらは(まさ )しく啓示されたのだ。私があれらを作り上げた訳ではない。あれらの方から私を追い込み、信じることを強制してきたのだ。

 他人が私の確信を共有すべき理由はない。従って私は単なる物語として、私の超宇宙的 (ハイパーコスミカル )な体験の記録を記すことにするが、若し私がこれを明確に提示することが出来たならば、それはその純然たるる奇妙さと威厳とによって、信じることは出来ずとも、少なくとも注目せずにはおれないものになると確信している。

 しかし、人間の言語が果たして、私が今だ斯くも鮮明に覚えている驚異の千分の一なりとも伝えることが出来るものだろうか? それらは知覚された現実のあらゆる抗い難さと細部とを伴って、私の前に開示されたものだ。しかしどうしたら私はそれらを描写出来ると云うのだろう? ここに白紙があり、また一方「私の心の中に」過去と未来の永劫についての、また我々のものとは完全に異なった時間系についての込み入った重荷に過ぎる記憶がある。一体如何なる魔法を用いてペンを導けば、私はその灰色の痕跡から、その行程が私の体験のぼんやりとした青醒め歪曲した反映を確定してしまうところの印刷された頁から、他人の心へと投影させられる様に出来るだろうか?

 その幻視 (ヴィジョン )は真夜中を二時間程過ぎた頃に起こった。その夜のそれ以前に私の身に降り掛かった、苦痛に満ちた個人的な接触については、これを記述する気にはなれない。私は唯、それは私を美と、人間の人格の心許なさについての、それにまたあらゆる甘さと苦さとが共に具現化した、と私にはそう思われた或る人物についての、圧倒的で盲目的な感覚で満たしたとだけ言っておこう。完全に没頭していたので、私は言うなれば万有についての視力を失っていた。私は最早、個々人の悲惨は、それが多数の善良なる個々の魂の完全なる破滅であってさえも、宇宙 (コスモス )の全体性と美との為に要求されているのだ、と云うことを思い起こすことによって、私自身の惨めさを超越することは出来なかった。

 私があの卑俗な小さな別荘と、私を斯くも動かした存在の面前とを後にした時、私は完全に自失の状態で、心はその直前の過去に釘付けにされた儘、人気のない通りを急いでいたに違いない。と云うのも、気が付くと私は、我等が郊外と海とを見下ろす、ヒースの繁った丘の上に座っていたからだ。私はまた、自分が泣いていることにも気が付いた。これは斬新な経験だった。

 自己憐憫か或いは自嘲か、とにかく私は何百万と云う我が死すべき同胞達が、信念と希望との裡に為したに違いない身振りを演じた。私は天空を見上げた。

 星々は、英国では稀な程に明るく、大量に輝いていた。天の川、漠とした軽やかな流れが、燐光を発し、ダイヤモンドを鏤め乍ら、天空を分割していた。私は宇宙 (コスモス )の無感覚と茫漠さとに激昂し、それからすっかり怯えてしまった。如何なる権利によって、そう、一体如何なる権利によって、これら心なき深淵達は、私にとって全ての中の全てとなっていた個人の愛しさを溺れさせることが出来ると云うのだろうか?


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