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 読者の中には、私の物語を予言の試みであると受け取り、これを不当に悲観的であると看做す者もいるだろう。しかしこれは予言ではない。これは神話であり、或いは神話の形を借りたエッセイである。我々は皆未来が、私が描いたよりはもっと幸せなものになって欲しいと望むものである。詳しく言えば、我々は、我々の現在の文明が、何等かの形のユートピアに向かって着実に前進してゆくことを望むものなのだ。それが衰退し崩壊するかも知れない、そしてその精神的財宝が取り返しのつかないまでに失われるかも知れないと云う考えは、我々の気には喰わないものだ。だがこれは少なくともひとつの可能性として向き合わなければならない。そしてこの類いの悲劇、ひとつの種族の悲劇は、思うに、如何なる適切な神話に於ても認められなければならないのである。

 それ故また、我々の時代には絶望と同時に希望の強い種子があることを喜んで認める一方で、私は美学的な目的から、我々の種は自らを滅ぼすと想像した。今日、平和と国際間統一に向けての真摯な運動が存在する。そして間違いなく、幸運と知性ある運営を以てそれは勝利するだろう。何よりも真摯に、我々はそうなることを希望しなければならない。しかし私はこの本に於て、この偉大な運動が失敗する様子を描き出した。私はそれが一連の国家戦争を防ぐ力がないと想像した。そして私はそれに、種の精神性が弱体化した後になってようやく、統一と平和の目標を達成することを許した。こんなことが起こらねばよいが! 国際連盟、或いはもっと厳格に世界主義的な権威が、手後れになる前に勝利すればよいのだが! だが我々の種の営み全体が結局は、恐らくはこれもまた悲劇的であるであろうより広大なドラマに於けるちっぽけな、成功したとは言い難いひとつのエピソードであるかも知れないと云う考えの為に、我々の心と気持ちの中に余地を見出しておくことにしよう。

 アメリカの読者は、若しいるとすればだが、彼等の偉大なる国家が、この物語に於ける些か魅力的ではない部分を受け持たされていると感じるかも知れない。アメリカ文化に於ける最上の、最も有望なもの全てを、もっと粗野な類いのアメリカ主義が打ち負かすところを私は想像した。こんなことが現実の世界で起こらねばよいが! しかし乍らアメリカ人自身がこの様な問題の可能性を認めているのであり、出来れば彼等が、私がそれを強調したことを許し、そしてそれを〈人類〉の長いドラマに於けるいち早い転回点として利用してくれればと希うものである。

 この様なドラマを思い描こうと試みるならば、人類自身の本性とその物理的環境について現代の科学が語らなければならないことがあるならば何であれ、それを考慮に入れなければならない。私は、私の科学上の友人達を困らせることによって、自然科学についての私自身のお粗末な知識を補おうとした。リヴァプールのP.G.H.ボズウェル、J.ジョンストン、そしてJ.ライス各教授との会話によって、私は大いに助けられた。しかし彼等は、デザイン上の目的には役に立つが、科学的な耳には耳障りであろう多くの手の込んだ行き過ぎに対して責任を負うものではない。

   L.A.リード博士には、一般的な見解について多くを負っており、またE.V.リュー氏には、数多くの貴重な助言を頂いた。手稿の形でこの本全体を読んで頂いたL.C.マーティン教授とその夫人には不断に励ましと批評を頂き、感謝を適切に表す言葉が見付からない。私の妻の測り知れない健全さに対しては、私は彼女が思っているよりも遥かに多くを負っている。

 この前書きを終える前に、以下の全頁を通して、一人称単数の語り手は実際の書き手ではなく、遥かな未来に生きる或る個人であると云う設定になっていることを心に留めておいて頂きたいと言っておく。

                                                 
O.S.


 西カービィ
  1930年7月


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