月の瞼、或いは血の小ソナタ



 08/12/27(土)に始まるイスラエルによるパレスチナ自治区・ガザに対する空爆のニュースを知った黒森が、そこからインスピレーションを得て書いた作品。毎日の様にテロだの何だのと日本から遠い国で何人もの人々が殺害されているニュースに慣らされてしまっている我々は、いちいちそれらの事件に肩入れして反応していたのでは心理的にとてもまともな日常生活など送れはしないのだが、今回はハマス掃討に名を借りた民間人の無差別大量殺戮と云う事件そのものの残虐さに加えて、実際に空爆の最中に居る人物が命懸けで世界中に実情レポートを発信したことが黒森の心を引いた。レイバーネットで紹介されている、ガザ・アル=アズハル大学の英文学科の教授、アブデルワーヘド教授のメールである()。教授は電気の止まったガザからディーゼル発電機を使って、インターネットで世界に自分の目の前で起こっている事実を伝えようとしたのである(1234)。

 この大量虐殺の模様はYouTubeで映像でも確認することが出来るが、飽く迄文章に触発されたと云うのが黒森らしい。基本的に、外の安全圏に居て報道する側も、その報道を受け取る側も、実際に日々死の恐怖に怯えている個々の人々の顔も声も知る必要は無い。気にしないようにすれば気にしないでいた儘、のほほんと自分達の日常を続けて行くことが出来る。爆撃機に乗っている殺戮者達にしても同じことで、自分達が虐殺する数多くの人々の顔も声も、彼等は気に懸ける必要は無い。黒森自身のコメントに拠ると、本作品はそうした視線の非対称性の不気味さと、その事実の前で悩み、立ち竦んでしまう者の不安を象徴的に描いたものだそうであるが、但し黒森はジャーナリストではないので、飽く迄普遍化された形式に置き換えてある(ジャンルとしては「〈万界鏡〉もの」に属する)。従って、読者は本作品を読む際に、必ずしもガザの犠牲者達のことのみを思い浮かべる必要は無い。寧ろそこから離れて他の様々な事例に敷衍して行くことこそ、黒森が読者に対して期待していることである。



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