ハーバート・ジョージ・ウェルズ
(Herbert George Wells,1866-1946)


生涯
 1866年ケント州ブロムレーの貧しい陶器店の、四人兄弟の末っ子として生まれる。1877年に父親が大怪我をして働けなくなった為、14才の時にウィンザーの呉服商に徒弟奉公に出される。その後幾つかの職を転々としたが、グラマースクールの見習い教師として働く裡に思想と科学の世界に目覚める。1884年科学師範学校(後の王立理科大学)に入学、T.H.ハクスリーに師事して進化論的なものの見方と共に「宇宙的悲観論〔コズミック・ペシミズム〕」の影響を受ける。健康を害した為雑文書きになったが、大衆的なものの書き方を覚える様になってからは売れ出し、1895年『時間機』で一躍有名になる。その後続々とSF小説をヒットさせ、文芸小説でも悪評も含めて大いに話題となり、時代の寵児となる。

 社会や文明に対する関心は終始強く、1903年フェビアン協会に入会、1913年の『解放された世界』ではソディー教授の『ラジウムの解釈』の知見を元に大胆にも原子力時代の到来を予言した。第一次大戦では対独宣伝活動に努め、外務省や連合国は「戦争を終わらせる為の戦争The War that will End War」と云う彼のスローガンを大いに利用したが、一旦勝利が確定してしまうと、この背後にあった「世界国家か世界壊滅か!World State or World Smash!」と云う思想は奇人の夢想として無視された。ウェルズは何度かアメリカの歴代大統領達と会見し、1917年には国際連盟案をウィルソン大統領に送っているが、その結果は失望的なものであった。大戦後は共通の観念体系なくして世界平和は不可能との立場に立ち、20世紀の百科全書とも云うべき『世界史概観』等の一連の啓蒙書によって「生物としての人類」と云う概念の普及に努めた。1920年にはレーニンと会見、1921/22年労働党より下院に出馬、落選、1924年失望して離党。1934年にはルーズヴェルト、スターリンと会見、その後、後の国連人権宣言や日本国憲法の原型とも云うべき世界初の世界人権宣言である「サンキー世界人権宣言」を起草。ウェルズの遺灰は海に撒かれた為に彼の墓は存在しないが、彼が自分で考えた墓碑名は有名である。「言わんこっちゃない、みんなくたばっちまうがいい。God damn you all, I told you so」。



解説

 一般的な読者の多くにとって、ウェルズは今だに「SF小説の分野に於ける始祖のひとり」として認識されている。時間を自由に行き来出来る機械、獣人創造に精を出すマッド・サイエンティスト、透明人間、超科学を操って地球征服を目論む火星人、空中戦に戦車に原子力爆弾………ウェルズの名前はステレオタイプ化した様々な狭隘なイメージを喚起するが、比較的よく読まれている彼の小説の多くは確かに、ショッキングな、模倣し易い時代の偶像に満ちている。だがその背後にあった生物学的(進化論的)宇宙観・社会観にまで読者の目が注がれることは、一部の熱心なファンや研究者を除いてない。

 ウェルズは科学者としてのキャリアを、生物学者として始めた。彼は科学の使徒として、卑俗な日常に閉じ込められた近視眼的な人々に、知識が我々に開いてみせてくれる驚くべき広い世界の意味を教えたがった。彼は良識を最大限駆使して、近代の文明の立っている位置と、人類が生物のひとつとして世界の中で占める立場を確認した。それは彼にとって自明のことではあったが、他の人間達にとってはそうではなかった。科学的技術による物質的成功が人類の在り方を一変させてしまったにも関わらず、彼等の精神的成長はこれに追い付かず、世界は不変だと思い込んで自足の微睡みに首まで浸かっていた。世界は日毎にその愚劣さを増し、再三彼が警告したにも関わらず、迫り来る危機に対して致命的な鈍感さを見せた。破滅の足音は直ぐ其処まで響いていたが、耳は塞がれていた。目の前には未来を空想するよりももっと重要な事柄が幾らでもあるのであり、それが国家市民として当然のことなのだった。無知を改善しようとしないことは、現代に於いては悪であり、罪であることは人々の脳裏にはなかった。彼は一向に目を覚まそうとしない世界に対して我慢がならず、大衆の耳目を集める方法を用いて声高に警鐘を鳴らした。だが返って来たのは世間的な成功と沈黙だけだった。

 ウェルズは教師をし乍ら知識の持つ力に目覚め、そして終生人類に対する教師であり続けたが、彼が屡々用いた手法は恐怖であった。彼は浮動する心に左右される大衆を決して信用しなかった。人類を目覚めさせ、自らの無知を克服させるにはショックを与えてやるしかないと考えたのだ。彼はウェルズが持っていなかったのは有無を言わせず生徒に云うことを聞かせる為の強力な鞭だった。だが彼に出来たことは精々生徒達に向かって、自分達の無知を何とかしないといずれはこうなるんだぞと、遠くから大声で脅しつけるだけだった。

 ウェルズは楽観主義者と称されることもある。世界国家を説き、科学技術が最大限有効に利用されたユートピアの姿を書いたからだ。だが彼は決して人類の未来について楽観したことはなかった。それは単に、彼には他の選択肢が残されていなかっただけのことなのだ。「こうなればいい」ではなく「こうしないとお終いだ」が彼の頭を占めていた基本的な発想であった。晩年の著作からは、その執拗な愚鈍さに絶望しつつも、尚ドン・キホーテ的な戦いを世界に対して挑んでいこうとする悲壮な調子が漂ってくる。 若者達が大規模な狂気に加担し、原子爆弾が落とされ、国連が創設され、世界人権宣言が発布されたが、戦争はまだ続き、飢えは地上を去らず、貧困は跋扈し、政治は生態学を無視したがる。ウェルズは沢山の過ちを犯し、外れた予言も多かったが、つまることころ大局に於ては正しかった訳である。人類が真剣に命懸けで学んでゆかねばならないことは、まだまだ山積しているのだ。



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