アーサー・レウェリン・ジョーンズ・マッケン
(Arthur Llewellyn Jones Machen,1863-1947)


生涯

 1863年ウェールズの、ローマ街道等が遺るカーレオン・オン・アスクの牧師の一人息子として生まれる。荒涼とした自然と文学とを友として孤独な少年時代を送り、十七の頃には詩集を自費出版。1880年進学試験に落ちたのを契機にロンドンへ上京し、文学界に飛び込む。長らく翻訳で糊口を凌ぎ乍ら(彼の訳した『ヘプタメロン』とカサノヴァの回顧録は今でも名訳として定評がある)小説を発表し、1887年に父が死亡してからは文学一筋に打ち込む。1890年『パンの大神』で、汚穢の作家と云う酷評によって注目を浴び、その後文学活動を続けるが、1902年行き詰まった挙げ句シェイクスピア劇団に入り、俳優兼文芸係となって地方を回る。第一次大戦中に『弓兵その他の物語』を発表したが、その中の「モンスの天使達」のエピソードが小説ではなく事実として受け取られ、一種の社会現象にまでなった為、再び世間の注目を浴びる。戦後は新聞社に勤めつつ、徐々に作風を変化させ乍ら随筆や小説を発表し、1920年代後半辺りからはアメリカでの再評価の動きもあったが、晩年は極度の窮乏生活に陥って余り筆も執らなくなり、見兼ねたB.ショーやT.S.エリオット等作家仲間達が呼び掛けて年百ポンドの年金を貰うことになり、そのお陰でバッキンガムシャイアの自宅に引き蘢った。1947年孤独の内に死去。



解説

 マッケンについて語ることには些か躊躇いを感じる。何か形容詞をひとつくっ付けただけで、全てがウソになって煙と消えてしまう………そんな危うさが、マッケンの作品にはあるからだ。

 マッケンは『パンの大神』で少しは文壇に知られる様になった当時、汚穢の作家、頽廃の作家と評されたが、しかしマッケンには、ワイルドやド・クィンシーの様な、或いはパリのデカダンの様な、酒や麻薬や性の逸楽等、貧乏だった所為もあろうが、或る程度の金や予め地位の要る、如何にもな淫蕩の影はない。彼の頽廃は多分に気分的なもので、実際に彼が盛んに行ったことと云えば、精々始終ロンドンの街中を散歩し、『煙草の解剖学』と云う本を書く程煙草を吸ったり調合したりし、少ない友人と文学談義をする位のものであった。世紀末のムード漂うロンドンの様な街を、何処にでも夢幻の光景を見い出すマッケンの様なタイプの幻視家がそぞろ歩き、そして生きて暮らしていけば、自ずと妖しい影が跳梁跋扈することになる。 マッケンはロンドンを魔都として描こうとしていた訳ではなく、ロンドンが魔都だからこそ、自然、そこから生まれる小説が妖しげなものとなってしまったのだ。*

*マッケンの随筆や書簡からは、彼が殊更に怪奇なものを意識的に追い求めたのではないと云う姿勢が窺われる。

 平井呈一は屡々彼のことを「悪の作家、罪の作家」と呼んだが、この表現も何か微妙に違う気がする。目の前の光景に潜んでいる邪悪、倦怠、頽廃、禍々しいもの、忘れられたものの怨念を見つけ出す能力は、一部の幻視家達に課せられた呪いであるが、この短い表現では、その微妙な勘所を何か逃してしまうと云う気がするからだ。マッケンは生まれついての幻視家であった。想像力が現実へと融解し、物象が何かそれ以上の意味を孕んで、しかし常にはっきりとそれを語ることなく立ち現れて来る際、そこには本来善も悪もない。瑣事に埋め尽くされた日常に於て忘れられていたものが妖しい光景の中で息を吹き返し、その権利を主張し始める時、そこには確かに秘められた悪の、悔悟を迫る罪の存在がある。だがそこにはより大いなる世界への扉が開かれてゆくと云う予感があり、自らが大自然に開かれてゆくと云う法悦がある。そこに出て来る「悪」とは人倫的なものではなく、その風景にそもそも内在している邪悪、大いなる力が観る者の視界の中で奇怪に変容して見える姿のことに他ならない。

 マッケンの想像力について語る際、ウェールズの風景も忘れてはならない要素であるが、彼の生まれ育ったウェールズの土地には、ローマの街道跡等がその儘遺っている、古の歴史と荒れ果てた自然とが融合した風景が広がっており、マッケン少年はよくこの中を散歩した。彼の自伝乃至自伝的要素の強い小説を読むと、彼の鋭敏な感受性、奔放な想像力がはっきりと活動を始めたのは、このケルト的な妖しげな山々の夕陽に染まる寂しい風景の中であったことが判る。夕陽の中を歩いたことのある者ならばお解りだろうが、懐古も悔悟も憎悪も忘念も、その中では全てがぐちゃぐちゃに融鎔してしまう。そこではあらゆるものが怪奇な姿でしか存在し得ない為、そもそもそこで改めて何かに「怪奇」とレッテルを貼ること自体が何か酷く滑稽なことに思えてしまう。マッケンは夢幻の世界に住んでいた。それを外からあれこれ評してみても、所詮は隔靴掻痒の愚挙にしかならない。溶鉱炉の様な真っ赤に焼けた夕陽の光景の中を、妖しくはかなく散歩して歩く小さな黒い人影、それこそがマッケンであった、と、それで充分ではなかろうか。



作品一覧 こちら から



作品サンプル一覧へ戻る

inserted by FC2 system