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 「それで、その川の側に広い平地があって」とジュリアンは彼の休暇中の話を続けた。「霧の掛かった牧草地の広い平地で、丘と川の間にある低い土手で分かれているんだ。芝地の下には失われたローマ人の世界があって、街がひとつそっくりそこに眠っていて、金や大理石や琥珀が永遠に埋まっていると言われている」

 「君は何も見なかったのかい?」

 「見なかったと思うね。僕は早起きして、暑い靄の中に隠れた小さくてモダンな村を後に残して出掛けることにしていたんだ。それから後はよく霧の掛かった牧草地の中に立って、灰色の光輪が消えて行くにつれて緑の芝地が揺らめき光るのを見たもんだよ。その静けさと言ったら! 川の打ち寄せる音と、水が葦原を濯う音以外には何も聞こえないんだ。

 「土手は黄色い泥で」と彼は続けた。「だけど早朝の、太陽が霧の中で輝き始める頃はね、それが真珠色の、銀みたいになるんだ。何かを隠している低い小山があって、その上で古い刺のある木が一本、東へ向かって曲がっていた。流れの縁から少し行った所だ。僕はそこに立って、早朝の靄の中から木々が盛り上がるのを見るんだけれど、その白い太陽ってのがキラリと光る壁のある街を囲み込む様に見えるんだ。凝っとしていたら、壮麗な大軍や鷲達が見えたに違い無い。その壁から鳴り響いて来る朗々たるトランペットが聞こえたに違い無いよ」

 「君はそれ以上のものを見聞きしたろうと思うね」と彼の友人が言った。「僕が何時も言っているだろう、大地も、丘も、古壁でさえ、それらはひとつの言語なのであって、翻訳が難しいだけなんだって」

 「そう云うことを考えさせられる所にも行ったよ」とジュリアンが言った。「街からは遠い所だった。僕はなだらかな丘陵の直中で道に迷ってしまって、野原から森へと小道に沿って彷徨って行ったんだが、人の気配と言ったら、あちこちで立ち昇る青い煙以外は何も見えなかった。煙は地面や、木々や、ひょっとしたら小川から出ていたんだが、何せ家が一軒も見えなかったんだ。僕は歩き続けたけれども、何か未知の物体の後を追い駆けている様な気がずっとしていた。すると突然、ひとつの形が忘れ去られた夢から起き上がって来た。灰色の、銀に輝く石で建てられた一軒の古い農家だ。黒い池に向かってうねり傾いている納屋、屋根に覆い被さっている松の木。ものみなぼんやりとして、まるで水面に映して見たみたいだった。少し近くに寄ってみると、自分が丘の迷宮から自由になって、高い所に出たことが判った。僕は深く広い谷を間に挟んで山脈に面していたんだが、きっと山風が年中玄関に吹き付けているに違い無い。山風はその深い窓口から顔を出して、あの広大な緑の丘の斜面の上を流れる雲や太陽を眺めているんだ。黄色い花々が庭園で揺れていたんだが、あの静かな日でさえ、山風が谷を渡って吹いていたんだ。だけどあの灰色のキラキラと煌めく壁ときたら! そこから一筋の光が流れ出していて、思考を超えた何かを物語っていた。

 「僕は北へ抜けて、川の谷へも行ってみた。街は木々の背後、イタリアや、ワインや、オリーヴの園のことを囁くロンバルディのポプラの直ぐ背後に隠れていた。曲線を描く細道を行くと、果樹園の下に出たんだけれど、その下枝は暗緑色で、影の中では殆ど黒だった。それから果樹園と川の間を曲がりくねっている道を行くと長い谷に出て、そこではまるで森が丘の上の雲みたいになっていた。僕は黄色い流れが止まって、水が綺麗になってゆくのを観察したんだが、風の息吹きにはこの世ならぬ気配があった。燃える様な池を見たのはそこだ」

 「君は日暮れまで居たのかい?」

 「うん、僕はその谷の中で一日中過ごした。空は灰色だったけれど、曇ってはいなかった。いや、それは寧ろ、地上をぼんやりとではあるけれど輝かせて見せる燦然とした銀の光だった。実際、太陽は隠れていたんだが、君ならきっと、白い月達が大気の中を漂っていると夢想したんじゃないだろうか、時々、霧の掛かった丘の斜面が青白く照らし出されて、木が一本突然>森中 (もりなか )に現れて、まるで花でも咲いているみたいに輝くのが見えたんだ。そう、川岸の穏やかな牧草地には小さな明るい点が幾つもあって、まるで白い火の舌が灰色の草の中で火花を発しているみたいだった」


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