抽象的な理論や学説のこうした具体化は、作劇法としては実に効果的ではあるのだが、同時に扱いをひとつ間違えれば喜劇に陥ってしまうと云う危険性を孕んでいる。方向性と概要しか語られることのない本書の和音論は、例えば万有音楽論が幾何学=音楽の持つ ratio 比=理と云う知性的な核をその基盤に措くのに対して、もっと身体的所作に密着した、心霊主義や或る種の超能力に結び付いており、その実験の成否が即物的に描かれることによって、物語の展開に劇的な効果を与えることに成功している。また真理探求の道程と平行して、主人公の恋の様子が和音による調和の過程として描かれているが、これもまた本書に異色の恋愛小説(或いは恋愛「論」小説)としての興を添えている。