川流桃桜の日々の呟き06/09月-2


06/09/30(土) 『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その4
 『鯨神』
 『大魔神』と『ゴジラ』
06/09/18(月) 『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その3
 『クレージーの怪盗ジバコ』
06/09/30(土)
『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その4


 『ラピュタ阿佐ヶ谷』へ行くのもこれで4度目です。今回はちょっと現場の様子等も書いてみることにしましょう。場所はJR阿佐ヶ谷駅北口を出て約2分、位置を見付けるのはそれ程難しくはないのですが、やや裏通りにあって隣に駐車場があったりして、一見して劇場だと判り辛いので、最初は一寸戸惑いました。大きさは一戸建て住宅とそう変わらず、外観はでっかい素焼きのカップを引っ繰り返した様。天辺に小さな風車なんかが据え付けられています。正面は植裁と掲示板に覆われ、その狭い間を通ると、1階と地階それぞれへと続くスロープと階段があります。他にも小さな劇場等も入っているらしいのですが、映画館は2階。時々芝居の方に来ているお客さんが長い行列を作っていることもあります。

 先ず1階入口受付で切符を買うのですが、会員ではあない一般客は当日拳のみ。切符には当日の日付けと整理番号がスタンプされ、受付嬢の手書きで、何時何分からの分か書き込まれます。小ぢんまりしたロビーはぱっと見何処かの山荘のロッジの中を思わせ、小さな椅子やテーブルが並べられ、一隅では有料(1杯200円)セルフサービスでコーヒーも飲める様になっています。壁際には各種催し物のチラシがテーブルや棚に並べられ、壁には映画関係の記事の切り抜きや、上映作品のポスターが貼られています(こうしたものは殆ど本でしか見たことが無かったので感激でした)。奥の方には、どうやら販売しているらしく値札の貼られている映画関係の本が並べられています。1人しか入れない狭いトイレまで内装が統一されていて、便器は一寸眼図らしい縦長形。クラシカルな、上から垂らした鎖を引いて水を流すタイプです。

 開演10分前になると、若いお姉さんが2階への階段へと続く入口の所で入場開始を知らせます。整理番号順に(但し5人ずつなので厳密に番号順ではありませんが)切符を切って貰って階段を昇って2階へ。映画館としては小さめで座席数も48しか無いので、いい席の数も自ずと限られて来ます(或る回で私は1番の切符を持っていたのに入ったのが3番目だったので一番いい席が取れませんでした)。観客は毎回それ程多くはなく、精々10前後。1桁の時も珍しくありません。私が行った中で一番多かったのは今回の『ゴジラ』で、17人でした。

 待ち時間は場内に『ゴジラ』『ラドン』等の伊福部サウンドが流れていて、ファンにとっては嬉しい限り。恐らく当時のオリジナルの録音を使っているのでしょうか、音が割れたりリズムがズレたりしているのもその儘ですが、音楽鑑賞自体が目的ではないのですから、これはこれで感興がそそられると云うものです。後方の映写室はガラス張りで中がそっくり見えるのですが、オレンジ色の薄暗い明かりに、型は古めかしいけれどもよく手入れをされているらしい映写機が浮かび上がっていて、雰囲気を盛り上げています。

 映写時間になると、入口の所でお姉さんが上映作品の短い解説と注意事項を述べ、そして入口のカーテンが引かれ真っ暗になると、正面のカーテンがキュルキュルと上映作品の画面のサイズに左右に開いて、早速上映開始です。古い作品の中にはフィルムがなかり劣化しているものもあり、画面に終始ノイズが入っていたりすることもあります。

 今と違って昔の映画は最後に「終」の字が出ると直ぐに終わりますから、それ程余韻に浸っている暇も無く、皆観終わるとアッと云う間に退場します。次の回を続けて観る場合でも、一回毎に入れ替え制になっているので、一度出なければなりません。上映は大体2時間毎に行われますが、長ければ次の回まで30分以上間が空いてしまいます。出入りは自由なので、それまで駅前の辺りをブラついて時間を潰したりしても結構。

 とまぁ、現場は大体こんな感じです。私は余り人の多い所は好きではないので、全体的に落ち着いた雰囲気を持つこう云う場所は非常にいい気分転換になります。贅沢を言えば、館内か近くに喫茶店か軽食堂のひとつも欲しいところではありますが。

 さて、今回観に行ったのは3作品。内『大魔神』と『ゴジラ』は既に何度も観ているのですが、どちらも傑作ですし、こうした作品はやはり小なりと謂えど大画面で観たいものなので、眠気を押して観て来ました。



『鯨神』(大映東京、1962)

 宇能 鴻一郎原作、新藤兼人脚本と云う一寸興味を引かせる組み合わせ。漁村の老婆が息子に向かって「息子よ!」などと呼び掛けたりする人工的な台詞が多いので、定めし新劇の舞台でも観ているかの様な感じです。時代は、マゲや「電信」が出て来たりするので恐らくは明治の初期、所は九州の或る隠れキリシタンの漁村。長年に亘って何人もの漁師達を「鯨神」と呼ばれる巨大なセミクジラに殺されて来た為に、村を挙げて復讐を果たそうとする村人達の骨太な人間模様が描かれます。

 鯨神憎さの余り、「鯨神の鼻瘤ば突いた(トドメを刺した?)者には娘も家屋敷も皆くれてやる」と公言した鯨名主(志村喬)、それに対して名乗りを上げたのが、祖父、父、兄を鯨神に殺され、母に「仇ば討て」と叩き込まれて育った若者「シャキ」(本郷功二郎)と、粗暴な流れ者漁師の「紀州」(勝新太郎)。これに、シャキの貧しい恋人(藤村志保)や、最初は「功名心の対象になるのは嫌です」ときっぱり言い切るけれども、その実まんざらでもなさそうな名主の娘(江波杏子。今で言うツンデレですな)、村の気違い沙汰を逃れて長崎で医者に成ろうと村を出て行くシャキの妹の恋人、怪し気な九州弁を操る外人神父や、村の荒くれ等が続きます。

   メインは鯨神に魅入られた人々の妄念群像なのですが、そこに絡んで来るのがシャキと紀州の対立。紀州はシャキの恋人エイを手篭めにし、孕ませてしまうのですが、エイは堕胎に失敗し、ひとりでこっそり産み落とそうとしているところを(それまで誰にも気付かれないと云うのもスゴいですが)シャキに見付かります。シャキは父親の名も聞かずに「この子は俺の子だ」と触れて回り、名主の約束を無視して彼女と夫婦になってしまいます。紀州は何とか幸せそうな2人を見ても何も言えませんが、決戦前になってシャキに、鯨神と戦うのを止めさせようとします。浜辺で殴り合ったが結局決着は着かず、翌鯨神との対決の日、両者が取った道とは………。

 鯨神と戦って死ぬことを望むシャキは、「鯨神を倒したら、北の海へそっと流してやりたい」「俺は一人になりたい。たった一人に」などと仲々一漁師らしからぬ台詞を連発するのですが、紀州が喧嘩を吹っ掛けても「俺の相手は鯨神だけだ」と頑なに突っぱねたり、最期には「俺は鯨神だ。俺が鯨神だ」などと神秘的な台詞で締めたりして、単なる復讐譚とも言い切れぬ複雑さを作品全体に与えています。

 勝新の方は登場時からもうギラギラの欲望丸出しで暑苦しいの何の。半裸の汗塗れ潮塗れの荒くれ男達が犇めき合う本作の中でも一際嫌な存在感を放っています。後半、秘かにシャキ夫婦の幸福を願いつつも口に出せないでいるところなぞ、一寸した可愛気も見せますが、ああ見るからみ太々しい感じを一発で出せる役者さんはそうはいないでしょう。

 特撮が使われているのは無論「鯨神」狩りのシーン。大映的なセット撮影にしては結構迫力があります。本作は白黒映画ですが、後の大映テイストとなるいぶし銀カラーだったならばもう少し安っぽくなっていたかも知れません。鯨神が人を殺すと云うのは、先ず漁師達が小舟で近付いて次々と銛を打ち込み、綱に引っ張られて海に引き摺り込まれると云う単純なパターンで描かれているのですが、泳ぎが達者な筈の漁師達が次のカットではもうプカプカ浮いていたりするので、一寸説得力に欠けるところも無きにしもあらず。セミクジラが海面から顔を上に向けて泳ぐなんてのも現実には先ず有り得ないとは思いますが、ガバと口を開けたところなどはまるで『デューン 砂の惑星』の砂虫か『トレマーズ』のグラボイズを先取りしている様でした。頭の部分が恐らく実物大の模型を作ったのでしょう。

 以下は原作本です。


宇能鴻一郎『鯨神』(中央公論新社、1981)




 『大魔神』(大映京都、1966)と『ゴジラ』(東宝、1954)については今更書くこともありません。どちらも日本特撮映画が生み出した最高の神話的シンボルです。名作なので、まだの方は是非一度は(なるべく大画面で)観て欲しいところです。ひとつだけ今回改めて思ったのですが、ゴジラの太鼓の様な足音や大魔神の如何にも「踏み締める」と云う響きをした足音が、場合によって有ったり無かったり、画面の動きとズレていたりと云うのは直せないものでしょうか。オリジナルのものに余り手を加えるのは余り好きではない私ですが、この位の修正版は作られてもいいのではないでしょうか。どうにもチグハグで観ている途中で興が殺がれます。


『大魔神』(大映京都、1966)
(DVD-BOX『大魔神封印匣 魔神降臨』(2001))


『ゴジラ』(東宝、1954)

 参考資料として以下の文献も挙げておきます。


原作シナリオ『怪獣総進撃』(出版芸術社、1993)


老松克博『スサノオ神話でよむ日本人—臨床神話学のこころみ』(講談社、1999)
06/09/18(月)
『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その3


 「ラピュタ阿佐ヶ谷」の『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』、先日もまた1本だけ観に行って来ました。小泉八雲原作による『怪談』(文芸プロ・にんじんくらぶ、1964)は以前テレビで観たことがあるので省略したのですが、仲々雰囲気が出ていて、文芸作品として非常に良く出来た傑作です。特撮シーンも比較的自然に話の中に組み込まれていて、わざとらしさを感じさせません。





『クレージーの怪盗ジバコ』(東宝・渡辺プロ、1967)

 北杜夫のユーモア小説の映画化です。とは言っても、一瞬で何にでも変装してしまう荒唐無稽な大怪盗、と云う設定だけを頂戴して、ストーリーの方はオリジナル。世界を股にかけて奇想天外な活躍を繰り返す怪盗ジバコから、「『日本のホコリ』を頂戴する」と云う予告状が日本の警視総監(東野英次郎)宛に紙飛行機で届けられたことに端を発して、自分勝手な対策班長「明智」(ハナ肇)、彼やジバコに振り回されるその部下(谷啓)とその恋人、ジバコを利用して有名になろうとする悪女(浜美枝)、国際観光協会に見せ掛けて実は日本中の秘宝を盗み出そうとする窃盗団(ボスの「アルカ・ホネ」は前々回紹介した『潜水艦イ-57降伏せず』で外交官を演じたアンドリュー・ヒューズ)、そして稀代の大怪盗ジバコ(植木等)等が入り乱れて、ノンストップのドタバタ追い駆けっこを繰り広げると云うもの。原作の方は言葉の魔術を駆使した気宇壮大痛快無比な一大ホラ話でしたが、こちらはやはりクレージーキャッツの映画と云う印象でした。私は原作の大のファンなのですが、余りに色調が違うのでこれはこれ、別物として楽しみました(多分原作を忠実に映像化するのは不可能でしょう)。

   特撮に関しては、ジバコの変装によって谷啓が二人になったり、クライマックスのシーンで夜空に花火が上がっていたりと、一寸した合成が幾つかある位で、わざわざ注目すべき所はありませんが、谷啓が桟橋を駆けて行くと、何時の間にか行き過ぎてしまって(桟橋の先端の部分が合成で消してありますが、消した跡が丸見えです)、気が付いた途端に湖へドボン、なんて云うアメリカのアニメの様なギャグを堂々と実写でやってしまう辺りが何ともスゴいなと、妙な所で感心してしまいました。

 この映画の魅力は何と云ってもキャスト達の軽妙な演技でしょう。筆頭格が植木等のバカ笑い。大口開けてギャハハハハ!と何でもかんでも笑い飛ばしてしまう豪快さは、他の俳優には一寸真似出来ないでしょう。変装の名人と云う設定ですので、クレージーキャッツの面々他が彼の声で喋ったりするのですが、特に谷啓や犬塚弘等はいちいちオーバーなアクションにC調な口調を伴っているので、まるで無責任男が増殖したかの様です。谷啓は「怪しくない奴を逮捕するんだ!」等とムチャクチャな命令に振り回されたり、ジバコが何度も自分に化けるので何度も間違って逮捕されたりと可哀想なキャラを演じていますが、植木等の他に唯一劇中で歌を披露したり、後半はジバコに協力して窃盗団を追い駆けたりと、結構大活躍です。ハナ肇は「明智」と云う名前の割に全くのバカ。相手の裏を掻こうとして毎回裏を掻かれます。「病気の妻と子供が」などと泣き付いて失敗の責任を谷啓に押し付けてクビにしてしまう所などハタ迷惑もいいところ。ハマリ役です。クレージーの他の面々はそれぞれ検問の警官等のチョイ役で出ているのですが、桜井センリがおばあちゃん役なのが変則的。他に小松政夫や青島幸男、木の実ナナや藤田まこと、左卜全等も出ています。ボンドガールも演じたことのある浜美枝は後半はジバコのお相手としてドタバタに参加しますが、前半でちょっと悪女ぶるシーンは何とも峰不二子的な色気が満開でゾクゾクします。女優さんがこう云う顔を見せられたのは、やはりこの時代ならではではないでしょうか。このタイプの悪女を演じられる女優さんは今では存在しないでしょう。そう云えば、アクションシーンは一寸しかありませんが、植木版のジバコは無責任男風『ルパン三世』と言えなくもありません。マスクをベリベリを捲ると下から次々と別の顔が………なんてのは正にルパンです。

 原作は以下の通り。絶版になってしまっている様なのが悲しいですねえ。続編はやや時間が経ってしまった所為か、一寸パワーダウンしているのが残念。映画はDVDどころかビデオさえ出ていない様ですが、映画はともかく原作小説の方は是非お薦めです。


『怪盗ジバコ』(新潮文庫、1987)


『怪盗ジバコの復活』(新潮文庫、1989)

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