川流桃桜の日々の呟き06/09月-1


06/09/15(金) 『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その2
 『空の大怪獣ラドン』
06/09/05(火) 「劉連仁記念館」開館
06/09/04(月) 『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その1
 『潜水艦イ-57降伏せず』
 『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』
 『宇宙大怪獣ドゴラ』
06/09/15(金)
『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その2


 どうも貧乏暇ナシでして、今回はまだアップしていなかった先週の分を。

 先週観に行ったのは1本だけです。『日蓮と蒙古大襲来』と云うのも面白そうだったのですが、レビュー等を探してみると大迷作の誉れも高い様で、疲れていたこともあって諦めました。



『空の大怪獣ラドン』(東宝、1956)

 有名な作品ですが、観るのは初めてでした。監督本多猪四郎、特技監督円谷英二、音楽伊福部昭の鉄壁スタッフ。画面はスタンダードサイズで古さを感じさせますが総天然色作品、冒頭のタイトルバックからいきなり派手なキラキラがキラめきます。そこへ伊福部サウンドお馴染みの金管部の割れる様な重低音が叩き付ける様に流れて来て、仲々胃にもたれそうな豪華さでした。

 出水した九州の炭坑で起こる謎の連続殺人事件。犯人は、恐らく気候の変動か何かによって現代に蘇った古代トンボの幼虫、メガヌロンだった。そこへ起こる謎の大地盤沈下。時を同じくして東アジア各地で謎の超音速飛行物体が目撃されるが、その正体は阿蘇山中の巨大な卵から生まれた、二頭の巨大な古代翼竜、プテラノドン(略して「ラドン」)だったのだ! 自衛隊の攻撃をものともせず、福岡市一帯を壊滅させるラドン。だが阿蘇山中の巣を突き止められ、人工的に誘発させられた噴火の中で、二頭は燃え盛る炎に呑まれて行くのだった。

 ………とまぁ、ストーリーはこんな感じなのですが、評判に比べると意外にもどうにも印象に残りませんでした。何せ人間ドラマの部分が薄く、後半は殆どラドンとの戦いが淡々と描かれるだけ。メガヌロンの第一の被害者の、子供を何人も抱えた妻が、容疑者とされる男の妹(主人公の恋人)の所へ怒鳴り込もうとするシーンや、今で言うヤンキーみたいな髪型をした主人公の佐原健二がメガヌロン追跡中に落盤で行方不明になり、記憶喪失になって(と言っても一言も発しないので呆然自失のショック状態だけの様にも見えますが)発見されるシーンなぞが唯一それらしい盛り上がりを見せますが、それがどうも作品全体としての盛り上がりには直結していない様なのです。平田昭彦演じる生物学者もひたすら淡々と謎解きを進めるばかりで、只の解説者的な役割しか持っていません。これは特撮を中心に楽しむのが吉な作品なのでしょう。

 メガヌロンは体長数メートルのヤゴと云う設定なのですが、着ぐるみはムカデ行列式で、全身がアップで映るカットは結構マヌケ。炭坑の闇の中で素早く動く影だけがキチキチキチ………と云う鳴き声と共に人間に襲い掛かるシーンは仲々恐いのですが、その後アッサリ明るい照明のある人家に出没したりするので全体的には余り恐くありません。また遠景カットではチャチな人形を使っているので、これも全然恐くありません。

 ラドンの方は特に破壊シーンが秀逸です。やはりさっと通り過ぎるだけで衝撃波や風圧で車が吹っ飛んだり屋根瓦が飛び散ったりビルが崩れ去るあのダイナミズムのカタルシスはラドンと云う怪獣ならでは。福岡市壊滅シーンは怪獣映画史上に残るこの映画の白眉でしょう。詳細に造り込まれた福岡市のミニチュアも見ていて飽きません。但、やはりネックとなるのは飛行シーンでしょう。ジェット機と追い駆けっこをする時には黒い影がキーンと飛行機雲を引いて行くだけで普通の飛行機と変わらず翼竜と云う感じがしませんし、着ぐるみが飛び立つシーンはピアノ線で吊り上げている様にしか見えません。羽搏き乍ら空中停止するラストのシーンもどうにも不自然で、やはり吊り下げた人形がバタバタ翼を動かしている様にしか見えません。この大怪獣の見所は圧倒的な風圧が生み出す巨大な翼なのですから、もう少し工夫が欲しかったところです。

 個人的に一番のお気に入りは、佐原健二が孵ろうとする小鳥の卵を見て失われた記憶を取り戻すシーン。落盤によって巨大洞窟に閉じ込められた主人公。ハッと気が付くと辺り一面にメガヌロンが。すると奥にあった途方も無く巨大な卵が動き出し、割れて中から悪魔の如き形相をした化け物の幼生が! 恐怖に戦く主人公の目の前で、大怪鳥はあの人よりも大きなメガヌロンを、まるでミミズか何かの様に啄み始める………。仲々想像力を刺激される幻想的なシーンでした。但、人間-メガヌロン-ラドンと云う三者の対比が上手くいっていない為に、いまいち映像的な迫力には欠けるのが残念でした。ラドンがメガヌロンを啄むシーンでは明らかに比率がおかしく、メガヌロンが小さ過ぎて、あれから計算するとラドンは体高百数十メートルはなくてはならなくなります。特撮が素晴らしいシーンも多いのですが、それだけに欠点も目立つ作品でした。

 尚、以下の本にシナリオが収録されています。


『怪獣大戦争』(芸術出版社、1993)
(川流桃桜によるレビュー有)
06/09/05(火)
「劉連仁記念館」開館


 劉連仁と云う中国人の方を御存知でしょうか。今度中国の同氏の故郷に、同氏の関係資料を集めた「劉連仁記念館」が開館することになったそうです。

しんぶん赤旗『日本への強制連行被害者 故劉連仁氏の記念館開館 裁判勝利へ力を結集』
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-04/2006090406_01_0.html

 知らない方の為に簡単に説明しておきますと、劉連仁氏は大平洋戦争(日中戦争)の最中、中国から強制連行させられて日本へ来たものの、過酷で劣悪な労働環境に耐え切れず脱走し、何と1958年、戦後13年も経ってようやっと「発見」されるまで、戦争が終わったことさえ知らずに、北海道の山中でずっと一人で逃亡生活を続けていたと云う、驚くべき経歴の持ち主です。厳冬の襲う北海道の山の中で何の備えも持たずに何年も過ごそうなどと、まともな判断力を備えた人間ならば絶対やろうとしはしないことですが、それだけ日本人による虐待が恐ろしかったのでしょう(この場合の「日本人」は、日本人の民間人のことを指しています。国策として強制連行されて来た中国人達の「労働」先は民間の企業に依託されていた為、一部のケースでは軍人上がりや官憲等が絡むこともありましたが、基本的には虐待や虐殺を行ったのは所謂「戦犯」に分類され得る軍人ではなく、民間の企業人です。これについての当時の法的責任を認めた企業は今だに存在しません)。氏の生命力も並外れています(様々な証言や写真からすると、体格の大きな人だったらしいです)。

 「発見」された時には既にまともな言葉ひとつ発することが出来ない状態だったそうです。そんな彼のことを、当時のマスコミは当初「中国のスパイか!?」等と騒ぎ立てましたが、彼が強制連行の生き残りだと判明するや否や、途端に静かになってしまいました。劉連仁氏は早々に中国に送り返されることになってしまいました。祖国中国に帰還出来ると云うこと自体は喜ぶべきことなのですが、当時の政府は当事者を日本から追い払ったのをこれ幸いとばかりに、頬被りを決め込む方針を固めました。当時の首相は岸信介、次期首相のお祖父さんで、戦中は商工大臣として強制連行を発案した張本人なのですが、当時のことについては「資料が無い」等の強引な答弁を繰り返し、一切をウヤムヤにして調査も謝罪も行わないと云う態度を貫きました。

 劉連仁氏は1996年に日本国を相手に訴訟を起こしましたが、審理途中の2000年に死亡。遺族がこれを引き継ぎ、2001年の東京地裁での一審では、強制連行に国の責任があったことが初めて認められました。この判決は後に覆され、現在も係争中です。

 劉連仁事件は日本の戦後未処理問題を象徴する事件でしたが、これは氷山の一角に過ぎません。これら山積みされた問題の一刻も早い解決を期待する為にも、当時の事実関係を正確に明るみに出しておく必要があります。今回の記念館開館は中国での話なので、日本での知名度は余り上がりはしないでしょうが、殊に若いこれからの世代の間で、徒に事件が風化させられることの無いよう願わずにはいられません。

 ついでなのでちょっと書いておきますが、編集合戦の激しい「Wikipedia」に於ける強制連行問題についての記述は全くお粗末なものです。「劉連仁」等項目自体が存在しないものもありますし、他も中途半端な書き掛けが殆ど。「花岡事件」に至っては、そもそもの原因である強制労働や虐待についての記述が全く無く、しかも共産党の陰謀を仄めかしたり和解はもう成立した等と、もう噴飯ものです。全く恥ずかしいことです。何方かちゃんとした力量のある方が一刻も早く改定して下さることを期待します。

Wikipedia「強制連行」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C
Wikipedia「花岡鉱山」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%A1%E9%89%B1%E5%B1%B1
06/09/04(月)
『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』その1


 最近また更新が滞りがちになって申し訳ありません。先日も短い作品でお茶を濁してしまいました。近頃の休日は何時もなら一日中机の前にへばり付いているか、さもなくば黒森と会っているかのどちらかと云う凡そ色気もヘッタクレも無く過ごしているのですが、先日は是非行きたいイベントがあったので、貴重な空き時間を半日潰して有意義に過ごしてみました。お陰で大分リフレッシュ!

 『ラピュタ阿佐ヶ谷』と云う、定員僅か48名の小映画館で、『奇跡の職人芸 素晴らしき特撮世界』と云う企画が行われているので、観に行って来たのです。実は私は映画館に足を運ぶこと自体数年振りで、しかもテーマ別専門の常設映画館に入るのは初めてだったので、割と新鮮な経験になりました。特撮映画は大好きなのですが、やはり大画面で観ないことには!


『ラピュタ阿佐ヶ谷』
 http://www.laputa-jp.com/laputa/main/

 その日観たのは以下の三本でした。



『潜水艦イ-57降伏せず』(東宝、1959)<

 時は1945年6月。いきなり人間魚雷発射のシーンから始まります。戦局も益々絶望的になってゆく最中、帝国軍最強の潜水艦、イ-57がペナンに呼ばれ、或る命令を受けます。「本土決戦? そんなことをして何になる。日本人が皆死ぬだけではないか! 今は少しでも日本に有利な条件で和平を結ぶべきだ」との軍令部参謀(藤田進)の判断により、親日派の外国人外交官、ベルジェ氏(アンドリュー・ヒューズ)をポツダム会談の場へと無事送り届けることになったのです。断固戦い抜くことを主張する艦長(池部良)は最初は猛反対しますが、懇々と説得されその任務を引き受けます。部下達も反対しますが、軍人である以上命令には従うことになり、ペナンからポツダムまで、地球半周の旅が始まることになるのですが、老外交官と一緒に、ワガママなその娘(マリア・ラウレンティ)も乗り込んで来ることになり、女に飢えた艦内は大騒ぎに………と云った具合に、多少のユーモアを交え乍ら、緊迫した情勢下、和平への道を切り拓くべく、骨太な人間ドラマが展開されて行きます。潜水艦映画には『深く静かに潜行せよ』『眼下の敵』『Uボート』等傑作が多いのですが、本作もリストに加えてやっていいでしょう。最後まで手に汗握る一級の娯楽映画です。

 娘が水浴びをしたいとダダをこねたり、40度の高熱を出して氷が必要になったり、基本的に戦闘が禁じられていることもあって部下達が不満を募らせて行ったりと、結構様々なエピソードが詰め込まれていますが、とにかく目を引かれるのは艦内の乗組員達の暑苦しい生態。潜水艦と云う密閉された環境の中、水は滅多に使えないわ、赤道付近等暑い場所を通るわで、全員半裸か、ビショビショのシャツ姿で登場します。垢擦り競争で一等になった者に盥一杯の水が与えられるシーンなんかを見ていると、ああ今が戦時下でなくて良かったなと心底思いました。銃弾に当たって死んだりするのも勿論嫌ですが、生理的に不快なことも耐え忍ばねばならない状況と云うのは、平和な日常生活の中でも容易に想像出来る所為か、どうも平気で見ていられません。

 特撮を担当しているのは円谷英二。主にイ-57の全影と戦闘シーンで使われていますが、題材が題材だけに割と地味です。特撮としては流石に出来はいい方ですが、それでもミニチュアだと直ぐに判ります。音楽は團伊玖磨。やはりどうにも古めかしくお行儀の良い音ですが、それなりに自己主張しているのでインパクトはあります。俳優陣もいいのが揃っていますが、個人的に気になったのは藤田進と平田昭彦。どちらも東宝の特撮映画には欠かせない面子です。軍服姿の藤田進と言うと、私は『ウルトラセブン』なんかを思い浮かべるのですが、やはり演出がしっかりしていると演技まで違って来るのか、軍人の中でも数少ない良識派として、仲々に存在感を発揮しています。平田昭彦の方は軍医さんの役。この映画では藤田、池部、平田は英語がペラペラと云う設定になっている様ですが、一番英語の台詞が多いのが平田さん。日本訛りですが流暢で、身なりも何時もきちんとしているので、スマートでステキです。

 さてタイトルでもう言ってしまっているのでネタバレしてしまいますが、色々あって帰りの燃料も尽き、敵艦三隻に囲まれ、一旦白旗を振って外交官父娘を引き渡した後、玉砕特攻で全員死んでしまいます。ここが単純に主人公=勇敢なヒーローと割り切れないところで、当人達は捕虜にならず、軍人として戦って死ねたのだから満足でしょうが、戦略的に見れば全くの犬死に。自分達の悲壮なヒロイズムに酔って周囲の状況を客観的に考えることが全く出来ないのは愚かとしか言い様がありません(因みに航海半ばにしてポツダム宣言が出されてしまったので、任務そのものが既に無意味になってしまっていたのですが、通信機の故障により艦長以下全員がこの事実を直前まで知りませんでした)。

 艦内の人間関係を端的に表しているエピソードがあります。艦の空気洩れを直す為に艦外に取り残された少年兵の水葬の後、先任将校(三橋達也)が「今回の任務内容に賛同する者は一歩前へ!」と命じると、誰も動きません。「艦長の命令に従って命を捨てても惜しくはないと思う者は一歩前へ!」と言うと、今度は全員が前へ出ます。感動的なシーンですが、全員が思考することを放棄してしまった恐ろしさがこの裏に隠れています。合理性が何処かへ追い遣られて、精神論だけで戦争をしてしまうこの愚かしさ。プロパガンダに乗せられていたとは云え、徹底抗戦を叫んで無意味な死者を増やした責任が、一部の「戦犯」などではなく、現場の兵士全員にある様な場合もあることを見せ付けられた様です。

 艦を降りる時、老外交官父娘が見送る艦長に、「日本の軍人にとって降伏は耐え難いことでしょうが、命は何よりも大事です。生きて下さい。無駄に死なないで。これが終わったらまた会いましょう!」と別れの言葉を贈りますが、結局は何もかも無駄になってしまうのが何とも遣る瀬無いです。この艦長はよく悩みますが、悩めば何でをしたっていいと云うものでもないでしょう。この辺をどう解釈するかは、日本人として大戦のヒロイズムをどう評価するかによって大きく分かれることでしょう。



『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』(第二東映、1960)<

 平凡な人々の暮らしを突然襲う核戦争の恐怖を描いたもの。前半では、長年堅実に勤めて来た銀行員(加藤嘉)、同じ銀行で働くその娘、授業で核の恐怖を学んで以来そのことが頭を離れない息子、新聞記者(梅宮辰夫。若過ぎて誰だか判りません)と、結婚を躊躇うその恋人の看護婦(三田佳子)、裕福な一家、流しのギター弾きとその病気の妻、等の小市民達のそれぞれの不安と幸せを抱いた暮らしを淡々と綴って行きます。後半では、そこへいきなり北朝鮮上空で核爆発が起こったと云うラジオニュースが流れ、そこからどんどんと米ソの対立が深まり、東京市民はパニックを起こして我先にと疎開を始めますが、到頭ミサイルが発射され、死の灰が世界中を覆って行きます。

 「一部の狂った政治家達の不信と誤解の所為で、何で何もしていない俺達がこんな目に遭わなきゃならないんだ!」と云う瓦礫の山を彷徨う梅宮の台詞の通り、善良で無力な市民=被害者の立場から、核戦争を糾弾しているのですが、台詞にしても演技にしても、どうにも直球勝負が過ぎてしまっていて、左翼の教育映画でも見ている様な気分でした。せめて演出がもう一寸色気があれば良かったのですが。テーマ自体は大変真面目に、愚直な位に大真面目に描かれているので、あの時代によくぞこんな作品を、と讃えてやりたいのですが、何分全篇説教臭いわざとらしさが鼻についてどうにも有難過ぎるので、一作品としての評価はかなり低くなります。その学生発表の様な生真面目さだけが唯一の救いです。

 疎開のシーンでは大勢のエキストラを使ったりして結構大掛かりなのですが、肝心の核爆発のシーンがどうにも安っぽい。キノコ雲は恐らく本物の映像を使っているのですが、国会議事堂や金門橋が爆発するカットは、どう見ても核爆発ではなく只の爆弾の爆発にしか見えない。廃虚となった東京の風景は割と自然に仕上がっていますが、あれも広島よりは東京大空襲の印象が強い。累々と転がっている死体も、黒く塗りたくったエキストラが寝転がっているだけで、被爆者にはどうしても見えない(まぁそんなのをリアルにやられても正視出来なくなるだけかも知れませんが)。特撮の面では殆ど見るべきものの無い作品です。



『宇宙大怪獣ドゴラ』(東宝、1964)

 監督:本多猪四郎、特撮:円谷英二、音楽:伊福部昭の黄金チームによる、宇宙から飛来した宇宙細胞ドゴラが石炭やダイヤを吸い上げて全地球が大混乱に!と云う映画なのですが、はっきり言ってこの作品の一番の見所はドゴラではありません。メインはダイヤを巡る宝石強盗団やら警察やらが入り乱れてのコメディ・サスペンスの部分で、怪獣退治はどちらかと言うとその添え物です。

 ドゴラ(原作では「スペース・モンス」)は、小さい内はかの「ブロブ」の様な不定形のゼリー状の塊なのですが、大きくなると透明(?)になり(姿が「見えない」のではなく「見せない」演出なだけかも?)、はっきり姿を現すのは一度だけ。アニメの触手で若戸大橋を持ち上げて壊したりもしますが、基本的に緑色のでっかいクラゲが空中にフワフワ浮いて石炭を吸い上げているだけなので、見ていてそれ程面白いものではありません。自衛隊の攻撃によって細胞分裂を起こすのですが、その細胞がそれぞれ成長して無数のドゴラが出現!………したりはせずに、大きさはバラバラになった時の儘(スチール写真では2体のドゴラが船を持ち上げてる、なんんてシーンもありましたが、これじゃサギですなぁ)。身も蓋も無く言ってしまうと、幾つもの豆電球がプカプカ浮いているだけ。どう見ても「大怪獣」と呼ぶには抵抗がある余りにもショボいその姿。倒し方もやたらと地味で、ジバチの毒素に弱いドゴラに、大量成算した毒素をパラシュートで投下すると、化学変化を起こして石になって落ちて来ると云うもので、巨石が雨の如く降り注いで来ると云う真に迷惑な話です。怪獣映画として観るには、どうにも今ひとつ決定的な盛り上がりに欠けます。

 ついでに一寸ツッコみを入れると、元々何の変哲も無い細胞(何でそんなのが宇宙空間に浮いていたのかはともかく)が大怪獣になってしまったのは、日本上空が実は「放射能溜まり」になっているからだそうです。おお、コワッ! それに誰も指摘しなかったことですが、炭素を求めて石炭やダイヤを食うんなら、放っおいたらその内動物(勿論人間も含む)も食べ始めていたんではないでしょうか? まぁ意味不明に人間を運んで浮遊マジックを見せてしまったりする訳の分からん生物なので、予測はつきませんが。

 この映画で一番面白いのは登場人物達の騙し合い合戦。個人的に一番好きなのは暗躍する謎の外人マーク・ジョンソン(ダン・ユマ)。敵か味方か、人を食った言動をして老けたキューピッドみたいな顔をしている癖に、これが意外と有能なタフガイ。追って来た刑事(夏木陽介)にカラテチョップをお見舞いしたりします。有能なのかドジなのかよく分らないおとぼけな夏木を騙くらかす遣り取りが楽しいです。

 悪役連中は国際宝石強盗団。全員帽子に手袋、サングラスと云う、如何にも「ギャング団!」(笑)と云うナリをしていて、「俺達のエモノを横取りしやがったヤツはどいつだ!」とか怒りつつも、ドゴラには敵わない、マークには騙されるでてんでだらしない連中なのですが、若林映子演ずる悪女が出て来ると、途端に画面にグッとアダルティーな雰囲気が増します。

 天本英世のインチキ外人もチョイ役でいい味を出してますが、脇役の中でも怪しさ大爆発なのが宗方博士(中村伸朗)。人造ダイヤの世界的権威の筈なのですが、研究室はどう見ても只の書斎、ダイヤを食べるからと云う理由だけで大怪獣退治に乗り出し、何故か軍の高官(藤田進)と顔見知りと云うこれまた謎の先生。

 この連中がダイヤを巡って相争うのですが、脚本は関沢新一。軽妙なシャレた会話とコミカルなストーリー展開が実に楽しい作品です(伊福部サウンドは相変わらず重厚そのものなので全体のバランスからすればやや違和感が残りますが)。

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