|
06/08/22(火) 靖国参拝問題(続)と「抗日殉難烈士紀念館」開館について
06/08/19(土) リバーベンド氏のブログを読もう! それと靖国参拝問題について 06/08/01(火) 近況報告等 |
靖国参拝問題(続)と「抗日殉難烈士紀念館」開館について < 前回の続きです。今回の参拝を巡って再び気になったのが、世論調査の結果で余りに小泉支持派が多かったことです。共同通信社等の大手でも半数以上が賛成に回り、ネット上では何と八割を超えることも。ネットの場合は元々「ネットウヨ」、つまり、碌に歴史の勉強もしたことのない癖に小林よしのりの暑苦しいマンガなんかを読んで解った様な積もりになって、プチ愛国者を気取っている若造連中が多いことが予想されるのですが、それにしてもここまで多いとはもうほとほと呆れさせられます。彼等は今まで学校の歴史の授業で一体何を教わって来たのでしょうか。今回は右翼連中が屡々持ち出す主張の幾つかを取り上げて、大雑把ではありますが反論を加えてみることにします。 「中韓の言うことなど聞くことはない」と云う声をよく聞きますが、これ自体は先の戦争で加害者側に立っていた国の人間として甚だ無神経な物言いではあるものの、確かに、これは靖国参拝中止を求める理由としては比較的下位に置かれるべきものだと私は思います。靖国問題は外交問題である以前に何よりも先ず日本の国内問題であり、政教分離と云う大原則を日本政府がまた戦前の様に詭弁を用いて破るのか、そして先の大戦に対する歴史認識を、実際に政府を担っている人々が、そして国民がどう考えているのかと云う問題なのです。間違いの無い様に念を押しておきますが、諸外国からの声を無視すべきだと言っているのではありません。そもそも海外からの批難が無くとも何とかすべき問題なのだと言っているのです。よそから言われて考えなければならない、と云うこと自体が非常に恥ずかしいことなのですが、恐らくこれは靖国の法的身分について国民の大部分に無理解が蔓延している為ではないかと私は推測します。少しこの点について説明しておきましょう。 靖国神社は、そもそも明治政府が政治的な目的の為に人為的に作り上げた、半軍事施設です。明治政府は国家神道と云う宗教を「宗教を超えた、日本人なら当然守るべき道」と云う風に規定し、国民全員に強要しました。これは日本語教育等と同じで、 国家統一の為に、同一の行動基準とその適切な説明を設ける必要があった為です。祭政一致をかなり恣意的な形で現代に蘇らせたこの制度は、今言った解釈によって政教分離の原則を回避した訳なのですが、戦後神道指令が出されることによって、国家神道は「宗教」の範疇に分類し直され、政府がその運営に関与することを禁止されました。政教分離とは元々、特定の宗派等が宗教的な目的の為に政府に圧力をかけたり様々な実力行使をしたりすることを禁止する為に設けられた原則ですが、日本の場合、こうした特殊な事情と相俟って、これとは逆に、政府が政治的な目的の為に特定の宗派を利用することを禁止すると云う意味が強調されることになりました。靖国は「宗教」化されることによって、政治の世界から切り離され、強制力を失ってしまった訳ですが、その反面、靖国を作った日本帝国の負うべき責任への一切の追及から逃れることが出来た訳なのです。殆どサギの様な手口ですが、一度「宗教」としての靖国の身分が既成事実として成立してしまった以上、政府が政治的判断から今更これについてあれこれ口を差し挟むのは、戦前と同じ轍を踏むことになってしまい、政教分離の原則を固持する限りは許されないことなのです(現在「靖国を国家施設に戻そう」と云う動きがありますが、それはこうした経緯を全く無視した暴論です)。 靖国参拝に反対する人々も、戦時中日本の支配の被害を受けた国々の人々も、基本的には何も「靖国が戦争責任を認めて謝罪しろ」と言っている訳ではありません。繰り返しますが、靖国は元々軍事国家日本帝国の一翼を担う機関として作られた訳ですので、戦中日本が行った事柄に関しては当然靖国もその責の一旦を負うべきなのではありますが、これは戦後になって靖国の法的身分が根本的に変えられてしまった為、そう簡単にハイどうぞとは言えない事情が控えているのです。日本の国家としての戦争責任の決着はきちんと着けなければなりませんが、現在靖国神社は一宗教法人として、政治とは無関係なものとしてその身分を保障されてしまっているので、ウカツに政府の方がその方針について口出しをしようものなら、「政治は宗教に手を出してはならない」と云う、戦後になってようやっと明治政府の作った抜け穴から自由になって獲得した政教分離の大原則の片側に抵触することになります。本来であれば、靖国が国家の管轄下にあった時点ですっきりケリをつけてしまえば良かったのですが、天皇制度と同じで、靖国はその罪科をアメリカによって棚上げされた儘何となくウヤムヤに内にここまで来てしまいましたので、今更その責任を問い直すとなれば、天皇制度や靖国神社そのもの存続を考え直すだけの覚悟が必要なのです。そうなれば、現在の法の在り方について徹底的に再議論する必要がどうしても出て来ます(現時点ではとてもそんな議論が出来る雰囲気ではない様ですが)。 私見ですが、日本が諸外国に国家としての誠意を見せたいのであれば、靖国に手を出すよりも、先ず政府から公式の声明を出した方が良いと私は思います。例えばひとつのアイディアとして、遺族から希望の出ている分の「英霊」に関しては、遺骨等は無理としてもせめて靖国の方針とは別個に政府からの説明と謝罪、追悼の意を表した書簡を出すとか。その上で靖国がどう動くかは、現時点では靖国の宮司と世論の反応に俟つより他に仕方ないのではないかと思います。尤も、やはりもっと精密な議論を先ずしてからだとは思いますが。 A級戦犯合祀について、特に海外から批判の声が相次いでいますが、これは上記の理由から、問題の矮小化に他ならないと私は考えます。A級戦犯を合祀しようとどうしようと、これは一宗教団体が勝手にやったことで、過去の分祀訴訟の判決でもそうした言い分がタテになって、遺族の言い分が却下されています。「『宗教』だから何をしようが勝手」、つまり、ヒトラーを讃えようがオウム真理教を弁護しようが、それはその団体の自由であって、国民全体には関係の無い問題なのです。 もう少し突っ込んだ話をしますと、靖国を国立の追悼施設と勘違いしている方も多い様ですが、これも間違いです。先ず追悼とはこの場合、「あなた方も戦争に駆り出されて大変でしたね。もう二度とあんなバカな真似は起こさせませんから、今はどうぞ安らかに眠っていて下さい。あなた方の犠牲から学び取ったことを無駄にはしません」と云う気持ちで行うのが正しいのであって、「運悪く戦いには負けたが、諸君のしたことは何ひとつ(諸々の蛮行を含めて)間違ってはいない。よくぞ国の為に死んでくれた」と云う気持ちですべきものではありません。それは個々人の行動に関して言えば、心の中では靖国神社の主張とは全く異なる気持ちを抱いて参拝することも不可能ではありません。しかし少なくとも靖国は戦死者を「悼む」為の施設ではなく、「讃える」為のものなのであって、「もう二度と戦争は起こさない」等と云う殊勝な決意は、どこをどう取っても靖国からは出て来ません(ウソだと思う人は靖国神社の公式HPを覗いて見て下さい。「私達は全く反省していない」と云う旨が堂々と書いてあります)。第二に、国立と云うのもウソです。確かに大日本帝国時代は「国立」の半軍事施設でしたが、今は一宗教団体に過ぎません。法的に言えば、その身分はそこらの教会やお寺、オウム真理教のサティアンと変わりは無いのです。先程も触れた様に、法律を変えて国の管轄に戻そうとする動きもある様ですが、それならば死者を讃えるのではなく悼む施設に、それも国家神道と云う宗教色を抜き取った施設にしなければなりません。そんな要求を素より現在の靖国の宮司が呑むとは到底思えませんし、それに現時点で厳密な法解釈の議論も抜きにしてそんなことをすれば、戦前と同じ「政治が宗教を利用する」と云う過ちを繰り返してしまうことになります。これに関連して「国家神道は宗教ではない」と云うのは、先にも述べましたが帝国時代の言い分その儘なのですが、外部から見れば「宗教」と呼ぶに相応しい体制も儀礼もイデオロギーも充分に揃っており、国際的な場では全く通用しません。往々にして「日本に差別は無い」と思い込んでいる日本人がおりますが、実際にはあるのと同じことです。 少し説明が長くなりましたが元の話題に戻りましょう。 先日小泉首相から「死ねば皆仏。A級戦犯だろうと何だろうと関係無い」とのトンチンカンなコメントがありましたが、これは端的に彼がこの問題について全く理解出来ていないことを示すもので、既に自己破綻している論法です。第一に、靖国では死者は「仏」に成るのではありません、「英霊」として、カミサマとして、その功績を讃えられるのです。「仏」は誰が聞いても仏教の用語です。明治以降の政府は既存の宗教団体勢力の介入を防ぎ、天皇中心の強力な国家統一体勢を整える為に、仏教やキリスト教、教派神道等を「宗教」と認定し、「政教分離」の原則をタテに、政治の舞台から排除しました。その一方で、国家神道は「宗教を超えたもの」と規定され、日本人ならば当然追う義務として国民全員に強制されると云うペテンが用いられました。神仏の混淆は、靖国を建てた明治政府によって正式に否定されたのですから、国家神道と仏教とはそもそも相容れない存在なのです。この基本中の基本的な事実を、小泉首相は理解していません。第二に、靖国に祀られるのは「皆」でもありません。靖国は元々勲章と同じ様なもので、勝った側の武勲者の顕彰を目的として建てられた施設で、そこに祀られるのは戦死者の中から靖国が恣意的に選定した者だけに限られます。靖国とは、謂わば国威発揚を目的として死者の差別化を図ってランク付けを行う為のものなのです。時代が下るにつれて祀られる人の数は段々増えて行きますが、本質は変わりません。第二次大戦の時のみ、それまでと違って負けた側の人間を祀らなければならなくなった為、半ば負け惜しみのヤケクソ気味に全員引き取ることにしてしまったので(それでも実は取り零しが大勢居るのですが)、その辺りを勘違いしている人が多い様ですが、靖国は「皆」を祀る所ではありません。小泉首相の発言は、靖国の存在意義を全否定するものであって、もうブッシュ並のアホ丸出しの妄言なのです。 「日本の伝統だから」と云う主張もまた誤りです。確かに死者を神として崇めると云う行為は大昔からありましたが、それは一部の権力者や有名人等の顕彰や調伏、或いは当時の様々な政治的配慮の結果為されたもので、戦死者を全員神として祀るなどと云う行為は習慣でも何でもなく、高々61年前に拵え上げられたものに過ぎません(あなたの郷里には、昔そこであった戦で戦死した武士全員を神として祀った神社なんてありましたか?)。「伝統」と云うならば、普通日本の死者は戦死者であろうとなかろうと、故郷のお墓に仏式で埋葬されるのが普通です。どうもその辺をごっちゃにしてしまっていてきちんと整理出来ていない人が多い様に見受けられます。 「日本人なら当然」と云う主張は、明治以降の政府が主張して来た言い分と同じで、リクツも何もその根拠が明確に呈示されないことが殆どなのでそもそもここで取り上げる価値すら無いのですが、実はリクツでない分一番厄介なものかも知れません。「不満があるならお前は日本人じゃない、中韓へ行け」と云う暴論に対しては、結論が先取りされている分一切の反論が出来ません。これは違う意見を持つ者同士による議論を根幹とする民主主義の原則を拒否した態度であって、話し合いを受け入れる積もりがハナから無いのです。何より私が感心出来ないのは、その土着的で自足的な発想の偏狭さ加減です。日本と云っても、その中には自分とは異なる思想や信条、血統や生活習慣を持った人々が大勢存在しているのだ、と云う発想が、そこには全く欠落しています。憲法の遵守と云う唯一点を除いて、様々な相異なる人間が平和裡に共存して行く為の方途が国家なのであって、国家はその様々な選択肢を政治的な理由によって制約したり強要したりすべきものではありません。「日本人なら」と云う主張する人々は、それが根拠の無い勝手な言い分であって、「土用の丑の日にはうなぎを食べるべきだ」とか「バレンタインデーにはチョコを買うべきだ」と云った主張かそれ以下の正当性をしか持ち合わせていないことを心しておくべきです。 間接的なものになりますが、「昔戦った人々のお陰で今の日本がある」と云う主張も、これは少しややこしくなるのですが、少なくとも第二次世界大戦に限って言うならば、お粗末な自己欺瞞に過ぎません。第二次世界大戦(当時の言い方で言えば「大東亜戦争」)では日本はそれまでとは違って他国に敗れました。ポツダム宣言を受け容れて無条件の降伏をし、「大日本帝国憲法」は廃棄され、天皇も元首の座から引き摺り下ろされました。その時点で「大日本帝国」は滅んだのです。国を靖らえるどころか、国が亡んでしまった訳ですから、正確を期すならば、「靖国」神社ではなく「亡国」神社でなくてはならない筈です。まともな計算も出来なくなった軍首脳部に率いられて大勢の兵士達が無謀な戦争をしたお陰で、日本は一度滅んでしまったのです。今の日本が在るのが彼等のお陰だなどととんでもありません。戦後日本が急速に発展し繁栄したのは、アメリカのアジア支配の構図の中で偶々日本が上手いことおいしい位置を占め、憲法九条のお陰で朝鮮戦争では一兵も出さずに逆に戦時特需で大儲けをし、保護政策によって国内産業の成長を許されたからです。なので感謝するなら征服者アメリカに対してすべきです。若し仮に日本が戦後ドイツや朝鮮の様に東西冷戦の新しい勢力分布の中で引き裂かれていたとしたら、果たして「彼等のお陰」などと呑気なことを言っていられたでしょうか。尤も、「よくぞ負けて大日本帝国を滅ぼし、アメリカ占領軍を呼び込んでくれた」と云う意味で感謝するならば話は別ですが。 ついでに言っておくと、「死んだ方々は純粋に国の為を思って戦った。だから無罪だ」と云う主張にもかなり無理があります。動機だけで行為の結果が無罪になるのだとしたら、「ヒトラーは純粋にドイツの為を思ってああ云うことをした」とネオナチが言い出した時、一体どう反論すれば良いのでしょうか。数年前ロンドンのバスを爆破した犯人グループの内の青年の一人が「とにかくアラブの為に何かをしなくてはと思った」と供述したのを思い出します。動機だけで言えば、彼の行為は賞賛に値するもので、結果は間違っていたものの批難するよりも同情し理解を寄せてあげるべきもの、と云うことになります。だからと云ってそれで彼の仕出かしたことがチャラになるでしょうか。動機は動機、結果は結果。情状酌量の余地が出て来ることと、そもそもそれに無罪の判決を下してしまうことの間には大きな隔たりがあるのです。 「心の問題。個々人の自由」をタテにする主張にも大いに問題があります。靖国は、その皇国イデオロギーに賛同しない者も強引に一緒くたにして合祀してしまっています。既に無理矢理「日本人」にされてしまった侵略を受けた近隣各諸国の人民、仏教やキリスト教等他宗教の信者、軍国主義に同調しなかった者、等々の遺族の方々が何度も靖国を相手取って争っていますが、靖国側は、自らが今や一宗教法人と云う制約を受けていることを逆に悪用して、つまり「宗教に関することだから何をしてもOK」と云う理屈をタテにして、彼等の要求を突っぱね続けています。これは国家による死者の管理の名残りであって、謂わば魂の拉致行為です。つまり、靖国は自らの現在の法的権利をタテに、他者の思想・良心の自由や信教の自由を公然と踏みにじっているのです。そんな施設に一国の首相ともあろう者が参拝する自由とは一体何でしょう? 「私には、他者の自由を踏みにじることに対して賛同する自由があります」とでも言う積もりなのでしょうか? 確かに、これは法解釈に微妙な争点が出て来る問題ではありますが、少なくとも一国家の責任者が軽はずみに断行して良いものではありません。 以前小泉首相の靖国参拝を称して「ドイツの首相がヒトラーの墓参りをする様なものだ」と言った方がおりましたが、仲々に当を得ています。こうした比喩になぞらえればバカでも解るでしょうが、他人のアラはよく見えても、自分が仕出かしている愚行については気付かない方が余りにも多い。仮にドイツの現首相が、「ヒトラ−は純粋にドイツ国家の為を思って戦った。結果はああなってしまったが、それは力が足りなかっただけで、彼のお陰で今のドイツがある。その彼に今のドイツ国民が謝意を表すことについて、他の国々からあれこれ指図される謂れは無い」と主張するネオナチ系の新興宗教の神殿にお参りをして、「大丈夫、参拝はしたけどあんな連中の言うことなんかこれっぽっちも信じちゃいません。ちゃんと平和は守ります」と言ったとしましょう。誰だって、とてもじゃありませんがそんな二枚舌で信用ならない政治家にドイツ首相の座は任せられないと思うでしょう。他国から非難が殺到して当然です。小泉首相には、よそから自分を見たらどんな風に映るか、と云うことについて、もっと想像力を働かせてみるべきです。 言いたいことはまだまだあってもっとずっと続けられそうなのですが、時間もありませんしキリが無いので、取り敢えず代表的な余りにバカバカしい主張を幾つか取り上げて駆け足で論駁してみました。以下、靖国問題に関するお薦めの参考文献を何冊か選んで以下に挙げておきました。今回言い残したこと、言い足りなかったことの多くはこれらでも取り上げられていますので、まだ読んでいない方がおられましたら是非どうぞ。 大江志乃夫『靖国神社』(岩波新書、1984) 田中 伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書、2002) 山中恒『すっきりわかる「靖国神社」問題』(小学館、2003) 『戦争と追悼—靖国問題への提言』(八朔社、2003) (川流桃桜によるレビュー有) ここでもうひとつ、終戦の日に因んで大切なニュースを御紹介しておきまししょう。 中国人強制連行問題については既に皆さん御存知でしょう。戦時の人手不足を補う為に、当時の商工大臣である岸信介(安倍長官の祖父)の発案により、中国から拉致して来た人々や抗日軍の捕虜が「賃金労働者」と云う名目で日本の各民間企業に送り込まれた一件です。働かされた人々は賃金を貰えるどころか自分達の身分が「労働者」になっていることすら知らされず、碌な食事も与えられずに虐待・酷使の日々が続いた為、約四万人連れて来られた内、終戦までに七千人近くが死亡しました。アメリカ占領軍による調査によって一応はその真相が明るみに出されたものの、日本政府は中国人達をそそくさと本国へ送り返してこの件をウヤムヤにしてしまいました。賠償についてはその後、時の周恩来首相がが自らこれを放棄した為、一応は片付いたことになっていますが、日本政府はこの好意に謝意を表するどころか、今だに正式な謝罪や適正な事後処理を行っていません。岸信介は、一度はA級戦犯に名指しされ乍らも、アメリカの計らいによって処罰を免れ、戦後首相にまで昇り詰めましたが、在職中に劉連仁事件によって戦時中の悪行が発覚しそうになると、慌てて氏を中国へ送り返し、これまたウヤムヤにしてしまいました。有名な「花岡事件」で百名以上の中国人を虐殺した鹿島建設は、2000年にもなってようやく、「平和友好基金」と称する手切れ金五億円を支払いましたが、法的な責任については一切これを否定しました。 さてその亡くなった方々の遺骨がどうなったか御存知でしょうか。日本政府は当時これを全く放置し、寧ろ 黙殺に励んだのですが、50年代から60年代にかけて、民間の有志諸団体が全国に散らばる遺骨を掻き集め、それらを中国に引き渡しました。ところが、確かに「中国に送った」はいいものの、そのそれぞれの遺族や故郷を探し出して送り返すと云うところまでは手が回らず、結局一ケ所に集められてその儘うっちゃらかしだったのです。因みに、この集められた場所と云うのは何等慰霊や追悼の為の施設ではなく、「記念館」とはなっていますが、要するに倉庫のちょっと上等なもの、位の代物です。信じられない程杜撰な話ですが、日本政府はそうやって今まで明確な戦争犯罪の責任を取ることを回避して来たのです。若しこれが横田めぐみさんの話だったらと考えてみて下さい。中国の方々が日本に対し悪感情を持つ様になっても当然です。因みにこの点についても大分誤解をしている方々が多い様ですが、中国政府は従来日本批判を積極的に行って来た訳ではなく、寧ろ日本政府と一緒になって謝罪を求める「一部」の国民の声を殆ど黙殺して来ました。この点に関しては中国政府は日本政府と同罪と言っていいでしょう。恐らくこの先何か大きな転機がやって来ない限り、この問題は風化してしまうでしょう。 慰安婦や虐殺の事実を今だに「中国のデッチ上げ」と主張して否定する人々がいます。日本は官民一体となって徹底して証拠の隠滅を図りましたし、証人達の多くも今となっては非常な高齢になっているか死亡しているかで、正確な検証が難しいのは確かです。しかしそのことに付け込んで何もかも無かったことにすると云うのは何処をどう取っても見ても卑怯卑劣な仕業です。現在の中国や韓国、北朝鮮と胸を張って向き合う為には、こうした過去の事実ときちんと向き合うことが不可欠ですが、今の「愛国者」諸氏は果たしてこうしたことについてきちんと公正な事実に基付いて考えてみたことがあるのでしょうか。数々の残虐非道を働いたのは昔の日本人で、今の日本人ではありません。しかし、そうした過去の清算をおざなりにさせた儘にしていること、これは弁明の仕様も無く、今の我々の責任に他なりません。日本での終戦記念日は、他の多くのアジア諸国にとっては解放記念日です。しかし、世の中にはまだ戦争が終わっていない、終われない人々が数多く存在していると云うこと、その事実を真摯に受け止め、彼等の声に耳を傾けるべきではないでしょうか。首相は靖国よりももっと他に喫緊で足を運ぶべき所があるのではなかったでしょうか。日本だけに限ったことでもありませんが、こうした未解決の問題が余りにも多過ぎます。 ソースはこちら。 asahi.com「強制連行の記念館、中国・天津に開館」 http://www.asahi.com/special/050410/TKY200608180117.html しんぶん赤旗「大戦時の中国人強制連行 天津に記念館開館 「日本は歴史直視し謝罪を」」 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-08-19/2006081907_04_0.html 参考サイト。 右翼討伐委員会「天津「抗日殉難烈士紀念館」の開館」 http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/21272137.html 保坂展人のどこどこ日記「中国・天津で強制連行犠牲者を追悼する」 http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/75c0646c81ebbc8c49dab22bd8aedcfa 『花岡事件』 http://www.geocities.jp/hanaokajiken/ さて、ブログもどきの真似をして随分手間を取られてしまいましたが、この次の更新からはちゃんと黒森の作品の紹介に戻ります。小説の方もオリジナル・翻訳合わせて幾つも溜まっているので、出来るだけ早いうちに御紹介するよう努力します。次回は取り敢えず七五か暴言の追加になるでしょう。 |
リバーベンド氏のブログを読もう! それと靖国参拝問題について ここ数日またぞろサーバーの調子がおかしかった様です。その間にアクセスを試みて下さった方には申し訳ありませんでした。尤も私は暑さにはとことん弱いので、最近は完全にグロッキー状態。仲々お休みが取れないこともあって、更新も疎かになりがちです。早く涼しい季節にならないものでしょうか。一方、黒森も私と同じく暑いのは大嫌いな筈なのに、先日また新作を二作も渡されてしまいました。どうもどんどん夏休みの宿題が溜まっていく様な気分です。 さて近頃の世界情勢はと言えば、東ティモールは相変わらずキナ臭く、フィリピンでは火砕流が猛威を揮い、ロンドンでは「テロ未遂」、アメリカはカストロの健康状態の悪化に付け込んで内政干渉と、何処も大変ですが、やはり最近一番腹が立つことと言えば中東情勢。あれだけ公然と大々的に無法が行われていると云うのに、結局また何も有効な手を打てていないと云うニュースを毎日聞かされるのは本当に苦痛以外の何ものでもありませんが、まぁアメリカ-イスラエルの傍若無人っぷりは今に始まったことではなし、正直に言って「またか。まただよな………」とクールダウンしないことにはやっていられません(決して慣れたいことではありませんが)。武力の行使による国際紛争解決の是非、民間人への攻撃禁止の原則の遵守、イスラエルとヒズボラ双方のレバノンの平和と発展に対する妨害、どれも後回しにしていい問題ではありませんが、尤も六十一年も前に決着が着いた筈の戦争に対する清算をまだきちんと出来ていない国もある世の中です、辛抱強く抗議の声を上げ続けてゆくしかないのでしょう。 ところで、以前こちらで御紹介しておきました「イラク占領反対!」の署名運動ですが、始まってからもう一ヶ月半も経つのに、どうも伸び悩んでいる様です。貴方はもう署名して下さいましたか? たかが署名、と思われるかも知れませんが、何もしないでいるよりは百倍もマシです。あの馬鹿気た愚行を一刻も早く止めさせる為にどうか御協力下さい。ココです、ココ(↓)。 『Call for U.S. Military to Abide by International Law and Stop the Bloodshed in Iraq!』 http://www.thepetitionsite.com/takeaction/507914513?ltl=1151424060 それに関連して、先日リバーベンド氏の新刊が発売されましたので御紹介させて下さい。リバーベンド氏はバクダード在住の二十代後半のイラク人女性。英語によるブログを通じて、一市民の立場から、真摯にイラク占領の欺瞞を暴き続けています。日本とスペインではそれをそれぞれ有志が翻訳したサイトも立ち上げられており、英語版を纏めた本は、優れたルポタージュ文学に与えられる国際的な賞『ユリシーズ賞』を受賞しました。欧米の(つまり、加害者側の)読者を意識して書かれているので、世界地図を見てもイラクの場所を指差してみせることが出来ない、などと云う人でも安心して読み進めることが出来ます。アメリカとその手下達の暴虐に対する容赦無い告発の書であると共に、何より現代イラク人の生活の実態が生き生きと描かれていて、生きた血の通った筆致が実に美しい。是非一度読んでみて下さい。以下に紹介するサイトでも、全文を読むことが出来ます。 オリジナルのサイト『Bugdad Burning』 http://www.riverbendblog.blogspot.com/ 上記のものを日本語に訳したサイト『Bugdad Burning』 http://www.geocities.jp/riverbendblog/ ついでなので、これも御紹介しておきましょう。こちらは加害者側のアホさ加減をつまみ食いしたものです。私は大爆笑しました。同様の書が他にも何冊か出ていますので、そちらもお薦めです。 余談になりますが、気になるのは彼女の名前。「リバーベンド Riverbend」と云うのはウェブ名で、本名は明らかにされていません。『2』の解説を書いた酒井啓子氏によると、これは恐らくバグダード市内を流れるティグリス河が曲がりくねっていることから来ているのでは、とのことなのですが、これを試しに日本語に訳してみると「川曲」………「カワマガレ」? こりゃあ、私の「川流(カワナガレ)」と一音違いじゃあありませんか! いや実は「川流」と云う名は彼女に敬意を表して付けたもので———と云うのは真ッ赤な冗談です。私がこの名前を付けたのは彼女がブログを始めた2003年以前のことです。いや、それだけのことですが。 一方そんな大変な中、我等が日本国宰相殿は、政教分離の原則も、過去の数々の違憲判決も、国としての戦争責任に対する反省も、靖国がこれに同調しない者達の思想・良心の自由も信教の自由も踏みにじっていると云う事実も、高まる一方の内外からの非難も、畏くも勿体無くも有難い前天皇ヘーカの御言葉も無視して、靖国神社参拝を強行した様です。もう直ぐ辞めるからと云って後は野となれ式の無責任極まり無い行動ですが、その時のコメントが仲々面白い。「ブッシュが行くなと言っても行く」。辞める前でなければゼッタイこんな事言えませんね。しかもその後のコメントさ実にいじらしく、泣かせます。「尤も、ブッシュはそんな大人気ないことは言わないけどね」(あの還暦を過ぎたガキ大将に大人としての分別を期待するとは………!)。 ブッシュ本人はこの後「俺っちはこんな面倒なことに関わるのはイヤだもんね」と明言を避け関与を拒絶しましたが、これまで既に何度も公式の場で、比較的やんわりとではありますが非難声明が出されていることを小泉首相は知らないのでしょうか。これまでも「靖国参拝を問題視しているのは中国・韓国だけ」「違憲かどうかは、判決も色々」などと事実無根の妄言を公共の電波に堂々と乗せてしまうと云う実績もありますし、世の多くの右翼の皆さんと同じ様に自分の知りたくないことは徹底的に知らない、と云う意味での無知なのかも知れません。それとも、碌な戦略的展望すら見えてない儘日本を再び戦争をする国にしようとしている張本人のクセに、広島・長崎の平和記念式典の場で「憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて………」うんたらと白々しい大嘘を並べ立てる類いの信じられない程の厚顔の為せる業なのでしょうか。 まぁとにかくこの五年付き合わされて来た極度の外交オンチの妄言からやっと解放されるかと思うとセイセイしますが、しかしその後に控えているのがあのバリバリの右翼では………。この場合「罰せられなかったA級戦犯の孫」と云う蔑称で呼んでもあながち間違いではないと云うのが恐いところです。先日安倍氏の著書『美しい国へ』をパラパラと立ち読みして(買ってじっくり読むだけの価値は全く無いので)確信しました、祖父が祖父なら孫も孫です。この妄言から解放されたかと思ったらまた別の妄言を聞かされなくてはならないとは。日本国民が「選択肢」を持てる様になるのは一体何時のことになるのでしょうか。 どうも散漫になりましたが、体力がボロボロなので今日はこの辺で。戦争に関する今回の話はもう一寸続きを書きたいのでまた後日。 |
近況報告等 最近何かと多忙です。先ず生活費を稼ぐ為とは言え7月は結局1日半しかお休みが取れませんでした。月に29日半勤務。流石先進国一の労働後進国。いい加減ILO勧告を受け入れましょうよ、ね? それから先日我が家に初めてDVDレコーダーがお目見えしました。今頃?とか言われるかも知れませんが、金が無かったもので。「安物買いの銭失い」はしたくなかったし、そこそこ高機能なものが欲しかったしで、今まで延び延びになっていました。今は連日古いビデオテープの中身をDVDに移し替えるのに大童。本の山だけでも大変なのに、長年溜め込んだビデオテープのお陰で私の狭い部屋は大変なことになっています。一日も早く人間らしい環境で暮らせるよう奮闘中です。 そして黒森の原稿整理の手伝いに結構時間を取られました。実は黒森とは忙しくて7月は一度も直接顔を合わせなかったのですが、またぞろ黒森がドコゾの文学賞に応募すると言うので、メールであれこれ遣り取りをしていました。今回は手許のストックではなく、このサイトで公開したものから選ぶことにしたので、私の協力も必要になったと云う次第です。「どうせまた落ちるだろう、私はプレゼンテーションが壊滅的に下手だから」と言うので、私も多少はマシに見えるようアドバイスはした積もりですが、どうなることやら。まぁもうここ数年ずっとこんな感じなので、気長に待つとしましょう。 |