川流桃桜の日々の呟き06/03〜06月


06/06/23(金) 旧国鉄労組のデモ その3
06/06/20(火)-2 旧国鉄労組のデモ その2
06/06/20(火) 旧国鉄労組のデモ
06/06/06(火) 自衛隊を国際救助隊に!
06/06/05(月) 君が代の替え歌と言論の自由
06/05/31(水) 戦争を拒否する為の戦略について
06/05/22(月) 翻訳の紹介
06/05/18(木) 改めて御挨拶
06/03/29(水) 掲示板閉鎖のお知らせ
06/06/23(金)
旧国鉄労組のデモ その3


 JR東日本本社前のデモ、序でなので三日目、四日目も見物して来ました。二日間とも午前中に雨が降った所為か、気温はそれ程上がらず少しは楽になりました(ムシムシするのは変わりませんが)。通行人の数も減ったのはデモをする側似とっては余り嬉しくはないでしょう。JR側の警備員は制服からするとセントラル警備保障、一、二名違う制服の方も混じっていましたが、一日目、二日目よりも数が増えて11〜12人位。相手方が精々それより数人多い程度と云うのに御苦労なことです。大方下請けに応援でも頼んだのでしょう。

 雇う側が雇われる側に対して誠意の無い高圧的な態度に出ると云うのは珍しいことではありませんが、それが当たり前の日常と化してしまっていること、これは何とかならないものか思います。周知の通り、日本は再三に渉るILOの勧告を無視し続けている労働後進国です。労働時間の多さは「先進国」の中ではダントツで、今だに冷戦下に於ける経済大戦の如き精神論の偏重が堂々とまかり通っている国です。労働者の権利よりも企業の権利の方が優先させられ易い国です。これは決して自慢出来ることではありません。

 ここ最近、先の大戦中の中国人の強制連行・強制労働と云う、官民一体になった巨大犯罪に対して、またぞろ訴訟が起こされていますが、戦後60年も経ってからこんなことを続けねばならぬ当事者達の気持ちを考えると、一体何をやっているんだ、何が「戦後」か、この60年一体日本の政府と企業は何をして来たんだ、と暗澹たる気持ちにならざるを得ません。目先の利益に溺れ、人権や人道は後回し、と云う体質は一向に改善されていないのか、少数者の声は相変わらず黙殺されてしまうのか、昔も今も、権力者達に倫理観を求めること自体無益なことなのか。まるでこの国の人間は決して進歩したりすることはないと断言されている様な気分です。

 ムッとする大気の中、項垂れる様にして椅子に腰掛けているデモ隊の皆さんと、その前にドンとふんぞり返る制服の警備員達を見て、どうにも暗くさせられる四日間でした。
06/06/20(火)-2
旧国鉄労組のデモ その2


 今日もまた新宿駅南口に寄ってみました。昨日と同じ相変わらずの炎天下で座り込みデモが行われていました。拡声器を持った男性が何やらJRの安全管理の質の低さを弾劾していましたが、正面から聞いた訳ではない所為かどうも聞き取りが困難でした。その代わりに配られていたビラなんぞを貰って来ましたが………。

 JRの警備員は昨日より増えていて9〜10人位。もう明らかに人の壁を作って通せんぼしている体勢でした。まぁ現場の警備員達は「お仕事」でやらされている訳でしょうが、それを命じる人達はどう云う神経をしているんでしょう。
06/06/20(火)
旧国鉄労組のデモ


 今日(06/19月)一寸寄る所があって新宿に行ったのですが、新宿駅南口付近を通り掛かった時、JR東日本の本社ビルの建っている所の前の歩道で、座り込みデモが行われているのを目にしました。大体予想は付いたのですが、やはり、旧国鉄の元職員団体、国鉄からJRに切り替わる時に、所属する組合によって再採用に差別があった、結果として1,047名が不当に解雇された、と云うことで、JRに交渉を求めている団体でした。この炎天下に大変だろうなとは思いましたが、その光景の見てくれが何とも物騒でした。旗を立ててぐったりと折り畳み椅子に座り込んでいる十数人のデモ隊に対して、その真正面にJRの警備員達が計六名、腕を後ろに組んでデン!と構えているのです。他の場所でデモを行っているのは何度か見たことはあるのですが、その時は警備員がいたとしても精々一名か二名程度だったと思います。万が一何か不測のトラブルが出来すると云うこともあり得るでしょうから、まぁ監視役を置く位のことは理解出来ますが、今回は流石に本社ビルだけあってか、これは明らかに威圧行動です。どうにもJR側の対応をその儘象徴している様で印象的でした。傍を通り過ぎる通行人やJR職員の皆さんはどんな風に見ていたでしょうか。何でも今日から四日間程続けるのだそうですが、この陽気ではどちらの側も大変でしょう。警備員達の方は直立不動ですから、その内誰か熱中症でも起こすんじゃないでしょうか。こんなことが一体何時まで続くのでしょう。

 JRの分割民営化は失敗だった、再雇用への道を開けと叫び続けて既に二十年近く、全く解決の目処が立っていないと云うのも情け無い話ですが、まぁ先の大戦の戦後処理も碌すっぽにしてほったらかしている様な国でのことですから、さもありなんです。大企業の都合で被雇用者達のクビがどうとでもなる、なんてことが常態化してしまっている現在では、このデモも氷山のほんの一角、よくあるありふれた風景のひとつ、偶々こうして団体で行動を起こしている為に目に見える様になった、数知れぬ弱者達の声のひとつに過ぎないのではないかと云う気がします。JR西日本が「安全第一」と云う当たり前の原則を「利益第一」に置き換えて職員を酷使した挙げ句に百人以上の犠牲者を出した尼崎の脱線事故はまだほんの一年前のことですが、そう云えば郵政民営化なんて云う、有権者の大多数に思考を放棄させた大掛かりなインチキもまだ控えていました。その内ハローワークも有料化になりそうですし、公務員も多数削減が待っています。医療、教育、福祉、安全保障と、数え上げるのもバカバカしい位ですが、公共サービスが金で売り買いされる流れは加速する一方で止まることを知らない様で、この儘では十年も経てば同じ様な光景がまた繰り返されているんじゃないでしょうか。いや、それ以前に民衆は団結する行動力さえ奪われて、踏み付けにされたら泣き寝入りするしかないのかも知れません。どうにも遣り切れないことを考えてしまいました。
06/06/06(火)
自衛隊を国際救助隊に!


 先日の朝日新聞の記事ですが、「マレーシアのナジブ副首相は4日、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議地震や津波など自然災害に迅速に対応する為、アジア地域に軍や民間の要員で構成される人道救援調整センターを設立することを提唱」したのだそうです。(『asahi.com』06/06/04日、http://www.asahi.com/international/update/0604/008.html)

 大変結構なことだと思います。前々から私も(そして黒森も)思っていることなのですが、現在の自衛隊はさっさと解体してしまって、国際的な災害救助組織に作り変えてしまえばいいのではないでしょうか。今現在もジャワでの地震被害を受けた島々で緊急医療援助隊が活躍していますが、こうした活動こそ正に国際貢献と云うものです。一方「軍」としての自衛隊がこれまでして来たこと、また今正に行っていることと言えば、アメリカ帝国のお先棒を担ぐことだけで、国内の世論の大勢は上手いこと誤魔化せても、何れ方々から恨みを買わずには済まないことばかりです。

 現実的な安全保障の面から言っても、軍隊よりは災害救助隊の方へ力を注ぐべきです。戦争は何時起こるか分からない脅威であって、また人為の結果である以上、避けようと思えば避けることが出来ます。ですが自然災害は現に起こっている、そしてこれからも必ず起こるであろう脅威であって、人間の力では防ぐことが難しかったり不可能であったりします。銃や戦車なんぞに使う金があったら、シャベルや注射器を持たせてどんどん人助けをすればいい。侵略と人殺しの片棒を担ぐよりもそちらの方がずっと真っ当な国際貢献ですし、そうしたことを続けていれば何れ国際的な評価も自ずと高まります。若し日本がアジアでのリーダーシップを取りたいと云うのなら、そうした活動は発言に実質的な説得力を持たせます。それにそうした方面での国際協力を押し進めていけば、昔の「大東亜共栄圏」(本当に字面通りに受け止められたら「共栄圏」と云うのは結構いい言葉なんですが)ではありませんが、これからの「東アジア共同体」へ向けての相互協調体制を実現する可能性はグッと高まりますし、そうなれば、危なっかしいアメリカの帝国主義に頼るよりももっと穏健な手段で国際平和の確保が出来ようと云うものです。

 私にも自衛隊に入隊した知人が何人もおりますが、時には命懸けで人命救助等の現場へと駆り出される方々には、せめて自分のしていることに誇りを持って臨んで貰いたいと思います。ですが見え見えの欲得に塗れた政治の道具に成り下がっている限り、私は彼等を応援は出来ません。ジャワでの自衛隊の活動は支持出来ますが、イラクでのそれは出来ません。折角のカネ、人、労力、物資、技術、こうしたものは本当に建設的な方面へと向けて行って欲しいと切に願う次第です。
06/06/05(月)
君が代の替え歌と言論の自由


 今回もまた少しお時間をお借りして、言論の自由などについて(済みません、余力が無いので黒森作品の追加はまた次回。軽い気持ちでやってみたこの呟きでの脱線、実際にやってみると結構時間を食います)。

 先日産経新聞に、「君が代の替え歌」なるものが掲載されたそうです。何でも、音は君が代の歌詞とそっくりなのですが、内容は全く違う、一種の反戦ソングになっているのだそうで、次の様なものです。

 Kiss me, girl, your old one.
 Till you're near, it is years till you're near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained, for,
 cold caves know the moon's seeing the mad and dead.
 【訳】
 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。  
                               
(『産経新聞』06/05/29月)


 これには別バージョンがある様で、日の丸・君が代に反対するサイトで公開している版は次の様なものです。

 き  み が  あ よ  お  わ
 kiss me, girl, and your old one
 ち  よ  に い い や ち よ  に
 a tip you need, it is years till you're near this
 さ   ざ  で   い  し  の
 sound of the dead "will she know
 し わ お と な り  て
 she wants all to not really take
 こ  け の  む う す う  ま あ で
 cold caves know moon is with whom mad and dead"
 【訳】
 僕にキスしたら君のその古臭いジョークにも(サヨナラの)キスをしておやりよ
 君に必要な忠告をあげよう 死者たちのこの声が君に届くまで何年もかかったんだよ
 「国家ってのは本当に奪ってはならないものを欲しがるけど
 そのことに気がつく日が来るんだろうか?
 冷たい洞窟だって知ってるんだ
 (戦争で傷つき)気が狂ったり死んでしまった人たちを
 お月さまはいつも見てるってことを

 註:古臭いジョーク (old one)
 たとえば「南京大虐殺は無かった」とか、
 「鉄道や学校の建設など植民地にも良いことをしてあげた」とか、
 「従軍慰安婦は商行為」などの嘘八百。
     
(『反ひのきみネット』http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/Jindex.htm)


 成る程、歌詞の内容が難しく、訳詞の解説を読むまでは何のことやらよく解らない所もありますが、音だけ辿ってみると確かに本物の君が代と殆ど区別が付きません。大勢の中で歌っていたって周囲から判らないでしょう(実際に口を動かしてみるとよく分かります)。この歌は「国旗国歌法の制定以降に一部で流れ始め、幾つかの“改訂版”が出来たが、今年二月の卒業シーズン頃には一般のブログや掲示板にも転載されて、広く流布する様になった」のだそうで、「心ならずも『君が代』を歌わざる得ない状況に置かれた人々の為に」抵抗の手段として紹介されている様です(上記のサイトでは音源版も公開していますが、こちらは余りお薦めしません。内容がどうこう以前に音楽として、聴いて気持ちのいいものではありません)。

 産経新聞は御存知の通り右翼系の新聞で、この後明星大の高橋史朗教授(教育学)の「面従腹背の陰湿な運動」とのコメントが載せられており、こんなことは怪しからんと言いたいのでしょうが(要するに上に言われたら黙って服従する自立性の無い奴隷を作るのが、彼等の言う「教育の崇高な使命」なんでしょうな)、この記事を読むまでこの替え歌のことを全く知らなかった私としては、右翼の方々が今度はどんな屁理屈を捏ねたのか知る以外に産経新聞が役に立つことがあるなど珍しいこともあるものだと、お礼を言いたい位です。

 ですが正直に言って、この歌をこっそり歌って「心の中で」抵抗する、と云う行為に関しては、私は余り感心出来ません。言論ははっきり口に出してこそ言論です、こそこそ陰に隠れてする、と云うのは、民主主義の退廃を思わせてどうも嫌な感じがします(それ程切羽詰まった情況には無い人達が君が代問題について考えるキッカケを与える、と云う意味では充分意義のあることだとは思いますが)。と云うよりも、実際の場面に於ては確かに選択肢のひとつとしてこうした手段を採用せざるを得ない人々も居るでしょうが、そもそもそうしたことまでせねばならぬまで追い詰められた情況、と云うのが、私にはどうにも納得が行きません。

 大手メディアでは殆ど黙殺に近い形になってはいますが、3年前に東京都教育委員会が君が代・日の丸を教育の現場で義務付ける様に強要し、従わない教職員には停職・免職等の強制処分で以て応えると云う方針を打ち出して以来、反対する教職員達はこれに不服を申し立てると共に、再三再四、行政側にきちんとした説明を求めて来ています。ところが都の方ではお役所的なのらりくらりとしたはっきりしない回答で誤魔化すばかりで、今だに一度もまともに話し合いの席に応じようとした例がありません。それどころか、生徒達に君が代・日の丸の意義を説明し、理解して貰おうと云う、最低限の誠意の欠片すら見せたことがありません。言論による合意の形成は民主主義の大原則ですが、それを拒否し続ける限り、都の教育委員会には教育の未来に関して何事かを語るべき何等の権利も資格もありません。(参照『根津公子さんのページ』http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm)

 都の指示に従わねばならぬ理由として、教職員は公務員なんだから上の言うことに従って当然、生徒達も「公」の場では言論の自由のことなど持ち出すべきではない、と云う理屈がよく持ち出されますが、「内心での思想の自由は認めるが、それを口に出して言うかどうかは別問題」とするのは、明治以降政府が言論の統制・弾圧を正当化した理屈と同じです。靖国問題で首相の参拝が「私的」か「公式」かと云う問題と似た様なもので、詭弁に過ぎません。君が代・日の丸が「日本人として当たり前」であると云うのはそれこそ一部の人達の勝手な思い込みに過ぎませんし(そこを勝手に勘違いしている人が実に多いので驚きなのですが)、第一(天皇もそうなのですが)自分達の代表や象徴を選ぶ権利、或いは拒否する権利、またそれについて適正な議論を要求する権利は国民の側にある筈です。本来国民の支持を得て効力を持つ筈の君が代・日の丸が、国民の同意無しに国家の側から国民に押し付けられるのは、本末転倒と言うしかありません。仮令個人的に君が代・日の丸には賛成だと云う人々も、民主主義の原則を信じるのであれば、今のこの情況を容認すべきではありません。

 実際の話、マスコミへの規制や共謀罪、新聞の格差拡大等よって言論への統制が次第に強まり、しかも再軍備化だ、愛国心教育だ、宗教教育だと、色々手を変え品を変えして粉飾してはいますが、この国は確実にキナ臭い方向へと進んでいます。そんな中でまた天皇制を讃える(実に歌い難い)歌を、日本は世界の中心だとする国旗を国家が国民に強制するなどと云うことが起こってみれば、少しでも良識を備えた人物ならば警戒心を抱いて当然の筈です。日本は軍事国家ではありませんし、学校は軍人養成所ではありません。「命令に説明は無い!」などと云う勝手は通っていい筈が無いのです。理不尽にも一方的に押し付けられる命令に対しては、国民は釈明を求める権利がありますし、またそうすることは民主主義を支える人間としての義務でもあります。

 或る学校では卒業式の際、教師が「起立!」と言っても生徒達が立ち上がらず、一時進行が中断したそうです。抵抗とは、この様に行われなければなりません。具体的に外部の人達の目に見えるアクションによって、自らの意思を呈示する、と云うのが、実のある抗議の声と云うものです。教師達が抗議の声を一言でも上げようものなた即クビになったり、教師達の身分が「人質」に取られることによって、生徒達の行動に脅しが掛けられる、等と云ったことは、明らかに権力の濫用であり、違法です。ですから今回の替え歌にしても、それを「内心での抵抗運動の支え」としなければならない情況と云うのは、そもそもがおかしいのです。

 そこで取り敢えずの結論です。もうそこまで追い詰められてしまった場所に居る教職員や生徒の皆さんは、おかしいことをおかしいとはっきりと声に出して指摘し、それを実効性のある力とする為の工夫を考え、そこから一刻も早く脱する為にあらゆる手段を用いましょう。まだそこまで事態が進んでいない場所の教職員や生徒の皆さんは、若しこの替え歌を歌う気があるのでしたら、その時は誤魔化そうとせず、寧ろ逆に周囲にも判る様にはっきり堂々と歌いましょう。若しそのことで何か言われようものなら、大いに咬み付いてやりましょう。「勝った者が正しい」などと云う強権主義的な発想を野放しにして蔓延らせてはいけません。「長いものには巻かれろ」式のことなかれ主義には時として断固たるNOを突き付けねばならないと云うこと、自分の頭で物事を判断し、或いはそれについて議論や対話を行う為の場をしっかりと確保する、それこそが何より一番肝腎なことではないでしょうか。
06/05/31(水)
戦争を拒否する為の戦略について


 今回は一寸雑談でも。先日放送されたテレビ朝日の『朝まで生テレビ』(05/27土01:20-04:20)を観ました。あの番組はたまにいい議論が交わされることもあるのですが、今回は全くダメですね。政治家連中がこの上どんな不見識を御披露に及ぼうとも今更驚きはしませんが、どちらの陣営もプロパガンダの応酬ばかりで、世界史的なレベルで状況を把握している人が殆どいない。「今は昭和初期か?」 と思わせる様な余りに偏狭な話が飛び出ても、司会の田原総一郎氏も全く止めもしませんし、またそれに反論する側も実に貧弱な論拠しか示せない場合が多い。私は立場としては共産・社民の陣営を応援しているのですが、「現実に戦争が起こったらどうするんだ」などと云うアホな質問をされて口籠っている様では、支持者も減ってしまいます。黒森ではありませんが、「戦争? そんな金が何処にある!」と言ってのけるだけの太々しさがないとやはりああした場では説得力を持ちません。第一軍隊について「現実的」な話をする時には必須である金の話を殆ど誰もしようとしませんし、精々姜尚中氏が時々それらしいことを断片的に述べただけです(「ちょっといいですか」と何度も言い掛けてその度にスルーされる様が哀れでした。右翼ってどうしてあんなに人の話を聞かないんでしょう)。軍事的衝突を避ける為に具体的に何が出来るかと云う提案も、漠然としたヴィジョンさえ殆ど呈示されませんでしたし、何かもう一方的にヒステリックな言論が暴発している印象を受けました。

 日本国憲法にも、また国連憲章にも不完全乍ら謳われている 「国際紛争を解決する手段としての武力の行使の禁止」は、今は多くの場面で有名無実化し、この定義だけでは不充分な事態が認識されて来ているにしても、それ自体は素晴らしいものだと思いますし、これは我々が未来への指針として受け継いで行くべき立派な理念です。この理想と云う面から自由にものを言うことが出来、且つその重要性が認識されていることが大前提なのですが、右翼の皆さんが大好きな「現実」の面から言っても、この理念を貫く為のもっと具体的な努力が今後一層必要になって来ることと思います。

 9.11以降の世界の軍事化の加速は、武力によって世界平和を達成することは不可能であることの何よりの証左である様に思うのですが、どうやら今の流れそのものをどうにかしようとするより、ずるずるとその流れに乗った上で一切を考えようとする論者が多い様で、全く困ったものです。「軍事的緊張」と云うものは、皆がそれを鵜呑みにしてしまうと、実際に高まります。「今は危険な時代だ」と云うことを誰かが言い出したとして、それが共通認識となって広まってしまうと、実際に危険な時代になってゆくものです。喜ぶのはネオコンとそのおこぼれに与ろうとする連中だけでしょうに、巨大化した軍隊そのものの危険性よりも、何故か他の外的な「脅威」について認識する方がどうも圧倒的に容易な様で、その辺りの言説の横行自体に対する危機感は、現時点では非常にお粗末なものとしか言い様がありません。

 軍国主義へと突っ走るのは非常に簡単です。「戦争が軍隊を必要とするのではない、軍隊が戦争を必要とするのだ」とは黒森の言ですが、実際に武力の行使が最初から選択肢のひとつとして台頭を始めてしまうと、アメリカがいい例ですが、民主主義の原則はどんどん崩れて行きます。武力の行使にはそれに先立ってあらゆる他の手段を講じることが絶対に必要とされなければなりませんが、今の様にそうした努力が皆無の様な状態では、お先は知れています。誰かが何処かで早い段階でストップを掛けないと、冷戦時代のソ連を自壊へと追い込んだあの馬鹿馬鹿しい程際限の無い軍事競争が再来し、それはやがて自動的に肥大化の道を辿ることになります。そこへ何故かマスゴミが余り報道したがらない莫大な負債と云う事実が加わると、それこそ国家が傾く様な事態が招来されるであろうことは必至です。どうも昨今のナショナリスト達にはその点で、安全保障とは我々の日常が守られてこそなのだと云う認識が非常に薄い様に感じられます。ですが「銃を持つ前に先ず金を寄越せ」、厭な言い方ですがそう云うことです。今の世界には、戦争なんぞに注ぎ込んでいいだけの金はありません。無論、これまで人類が築いて来た国際社会のルールをもっとドラスティックに堕落させ、軍事的侵略による世界地図の書き換えを常態化しても良い、と認めるならば話は別で、実際世界は今事実上、もっとあからさまな仕方でそうした方向に進もうとしてはいますが。無論そうなっていい訳はありませんので、別の選択肢を確たる形で示してやることがどうしても必要になります。

 政府も、そしてマスゴミも、平和を作り上げる為の行動を取るどころかそれに反する行動を繰り返している様な現状で、「世界は今どんどん危険になってゆくからそれに備えなければ平和を手に入れられない」と言う論者達の主張には全く説得力を感じません。にも関わらず私がそうした言説に脅威を感じるのは、それは彼等がリクツではなくもっと情緒的な反応としてそうした主張を声高に言い立てている部分がある様に思えるからです。最初から理性を持って話し合う気の無い相手と議論は出来ません。検証する気の無い結論を先に出してしまっている相手と話し合いは出来ません。民主主義に於ける平和への第一歩は先ず対話を根気強く繰り返す作業から始まりますが、その対話そのものへの道をどうやって開くか、どうしたら相手に耳を傾けさせることが出来るか、そうしたことに、平和論者達はもっと頭を使わなければならないのではないでしょうか。軍拡主義者達が主張する様に、平和は単唱えているだけでは達成されません。我々はどんな形での平和を望むのか、どんな手段によってそれを獲得する積もりなのか、その場合立ちはだかる障害としてどんなものが考えられるか、そうした事柄を具体的な展望として呈示することが出来なければ、狂信とも見えるこの時代逆行の波に立ち向かうことは出来ません。もっと言論を磨かなければなりません。そして、それを呈示する方法をもっと工夫しなければなりません。そんなことを改めて考えた今日この頃でした。
06/05/22(月)
翻訳の紹介


 三日連続で翻訳作品を公開してしまいました。本来この位の勢いでやれればいいのですが、何せ小説の場合は黒森とのチェックに時間が掛かってしまうので大変です。因みに今回紹介したマッケンの三作品、黒森は一次稿に一日、書き直しに一日(と言っても丸々費やした訳ではなく空いた時間でと云う意味ですが)と、一気に仕上げてしまったそうですが、そこからまた私が原稿を受け取ってからの面倒な作業や細かい詰めが結構時間を食います。暴言や七五の場合は余り深く考えずに割とホイホイ進めてしまえることもあるのですが。まぁ、モノを作るのに楽な道は無いと云うことなのでしょう。

 今回は例外的に素早く作業を終わらせてしまいましたが、まだ未発表の未整理原稿が山とあります。そちらも成可く早めに消化する様にします。
06/05/18(木)
改めて御挨拶


 ! そうだ、何かHPでも作ってみよう。
 → あーでも纏まったネタがないなぁ。本のレビューだけって云うのも寂しいし、日記なんかにしても大したものは書けないし………。
 → そうだ、確か黒森君は未発表の原稿を大量に抱えている筈だ。あれを使わせてもらおう!

 と云う感じで何となく始まった当サイトも、気が付くともう直き二年半。結構時間が経った様に思える割には何故か紹介作品のラインナップは今だに貧相で、黒森が何処ぞの章を受賞したりする様なこともなく、一向に進展を迎えない儘、それでもひたすら地味に何とか続いて参りました。

 私も一応、黒森の第一読者兼専属編集者としての役割もすっかり板に付いて来て、読み続けている内に頭が痛くなって来る様な黒森の手書き原稿をいちいち一から入力するのにも、ほんの数時間前に書かれたばかりの筈の原稿を前にして「これ、何て書いてあるの?」「………さぁ、何だろうねぇ」などと云う会話を交わすのにももういい加減慣れました(半ば諦めと共に)。

 「暴言の数々」と「七五の風景」はそれでもそれぞれ文庫本の一冊位は作れそうな分量をアップ出来たものの、本当はもっと沢山のものを御紹介出来ていた筈なのに、今だにこの有様なのはどうしてなのか、自分でも不思議です。黒森が遅筆だと云うこともあるでしょうが、貧乏暇ナシな所為か、時間の使い方が悪いのか………去年受け取った原稿が未だに入力すらされずに大量に机の上に積まれてある現状は、自分でもちょっとどうかと思うのですが………やっぱり私の所為ですかね、申し訳ありません。取り敢えずちょこちょこ時間を見付けて未整理原稿をちびちび何とか消化してゆく積もりですので、今後ともどうぞお見捨て無き様。
06/03/29(水)
掲示板閉鎖のお知らせ


 申し訳ありませんが、
最近アダルト系の書き込みが余りに多く打つ手が無いので、
掲示板を閉鎖させて頂くことに致しました。
これよりお知らせの類いはこちらに書かせて頂くことにします。
御了承下さい。

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