1752.
 私が完全に取り零した世界は私を脅かしたりはしない。私が取り零しているのではないかと私が思量する世界こそが私を脅かすものどもの正体である。無知な者、想像力が不足している者は、既存の世界の外部から我々を告発するかも知れないものどもから脅かされることが無い。


1753.
 「我々」と云う言葉によって、私は瞬時に人類の、或いは全存在者の殆ど全てを、不可視の深淵へと投げ込む。それは無意識の過程であって、我々の救い様の無い程の無知がその深淵を縁取る。


1754.
 予定通りに行かない旅も、それはそれで楽しい。目的地に着けなかったからと云って、それで旅全体が無意味になる訳ではない。余計な苦労を背負いこむこともまた旅の醍醐味だ。本当にシャレに出来ないトラブルなど滅多に起きるものではない。


1755.
 強者の語る真実と虐げられた者の語る真実とは往々にして食い違うどころか真っ向から対立することも珍しくはなく、嘘や歪曲や隠蔽による自己正当化は両方にとって有り触れたものではあるが、平等主義的な観点からすれば前者に於て特にそれが顕著である、と云うこの単純な事実を念頭に置いておけば、世に蔓延る途方も無い量の欺瞞に騙される回数も減るのかも知れないが、残念なことにこの態度を習慣化して実践している人は極端に少ない。


1756.
 食べ物に喩えれば、ジャンクフードでなければ何かを食べたと云う気がしない人々、ジャンクフード以外のものでは満腹感を感じることの出来ない人々、ジャンクフードより固いものは面倒がって咀嚼しようとしない人々―――こうした連中の間に在って、節度有る文明人であり続けようとするのは正直骨の折れる仕事ではある。仮に「朝三暮四」の故事に出て来る猿共の様に合理的思考とも想像力とも縁遠いこの狂った動物園からその臭いが嗅ぎ取れなくなる程遠ざかって暮らすことが可能になるのであれば、鼻持ちならないエリート趣味との非難は甘んじて受けようではないか。
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