1747.
 自らの罪について無知な者は、無垢な訳ではない、単に無知なだけだ。無垢な者とは全く違う意味で、その者は恥をも知らない。


1748.
 イヤフォンで音楽を聴き乍らジョギングを行う人がTVのインタビューに答えている。音楽を聴くのは集中力を高める為だそうだ。いやはや、既にそこに在る音楽に対して耳を塞ぎ、外部から他者の音楽を強制注入して貰うことによって集中力が高まるとは! 「音楽」の概念も随分萎びさせられてしまったものである。


1749.
 無論我々はすっかり漂白済みの文明に住んでいる! 当然ではないか? 若し我々が世界は元々どんな色をしていて、漂白の過程でどんなに残虐な蛮行が繰り広げられているかを絶えず意識しなければならないとしたら、心臓の弱い者はひきつけを起こして引っ繰り返ってしまうことだろう。


1750.
 我々が自らから離反していないと感じる為に、苦痛や屈辱や絶望や憤怒を経由しなければならないとしたら、絶えず自分自身から離反し、世界から隔てられた状態に閉じ籠っていることを選びがちだからと言って、誰が責められようか?夢うつつの惑乱の中で、自分が恥知らずな倒錯の中に囲い込まれていることを知らない儘一生を終える方が、大多数の者にとっては幸福ではないのだろうか? 人間らしい生に耐え得る者が、ホモ・サピエンスの中に果たして一体どれだけ居ると云うのだろうか? 人間として在ることが絶えざる闘争を意味するなら、一体誰が、それよりは夢遊病者の平穏を望まずにいられようか?


1751.
 祝祭には政治的メッセージが無ければならない。政治的メッセージを欠いた祝祭など、消費主義とコマーシャリズムに踊らされた空疎な馬鹿騒ぎに過ぎない。祝祭とは生に奉仕すべきものである。そして具体的な生は須く具体的な生活を、志向性を持った具体的な世界像を希求せずにはおかない。特定の世界像を求めることは即ち政治的要求である。そして具体的な政治的要求は具体的な党派制を手繰り寄せずにはおかない。私が指摘したいのは特定の政治家を支持するとかしないとか、特定の政策に反対だとか賛成だとか、そうした表層的なことではなく、それが如何なる世界像を志向するものなのかに於て、必然的にそこには排他的な傾向と、従って闘争が生じる筈だと云うことである。生は絶えざる闘争である。祝祭を没-闘争的なものとして捉える者は誤っている。祝祭は闘争を超越すると云う意味で闘争的ではないが、闘争の超克は闘争の後に来るものであって、前にではない。包摂が有り得るとしてもそれは闘争によって不協和音が炙り出され、表層にまで押し出され、音と形とリズムとを与えられた後のことであって、昇華が成るのは水面下で燻っていたものどもが大音声で怒声を轟かせた後である。闘争を抑圧し隠蔽するものは従って祝祭ではない。それは祝祭に名を借りた服従の、無力の、降伏の宣言であり、ケガレの日常が汚泥に塗れた儘失意と絶望の裡に続いて行くことを正当化する、哀れを催す言い訳でしかない。祝祭は反逆である。それが陰微で秘めやかで歪曲し迂回路を潜らされたものであったとしても、それは今在るものどもへの異議表明、我々の日常を縛り付けるものどもへ嘲罵、そうであったところのものどもがそうであろうところのものどもであろうとすることに対する高らかな哄笑であって、生を閉じ込める力に屈する共犯関係を、生を解き放つ共犯関係に転換する断固たる意志の発露の場である。妥協した祝祭は妥協した変容しか齎さない。祝祭の闘争は軽やかな束縛を知らぬ遊びであるが、遊びは何処までも真剣に行わなければ遊びには成れない。自らに音を与え、形を与え、リズムを生み出すその過程に於て、生は自らとの対峙、自らとの対決を余儀無くされるが、それはそれ自体に於て既にひとつの闘争である。その具象化の限界内に於て生は自らとぶつかり、怪我をし、砕け散る。具体的な生が新たな生へと生まれ変わらんとして血を流す。我々はそこに自らの生を投げ込み、孵化させ、白熱させ、連続する爆発の直中で自分自身を発見する―――或いは寧ろ、発見していたことを知る。そうした通過儀礼無くして生は生たり得ない。我々は絶えず生まれ変わることを欲する。それに失敗した者は須く緩やかな死の中で、屢々自らが死につつあることに気が付きもしないで、呆けた儘朽ちて行く。闘争は痛みを伴う。犠牲を伴う。特に近代的精神はその中で矛盾に引き裂かれ、分裂し、多元化による留保の誘惑に絶えず曝されることになる。その誘惑の何と魅惑的なことか! だがそれは必要な段階である。忌むべきものと法悦が隣り合わせて居ることを知らない者に、その先の景色は見えない。その先へ手を伸ばしたいだろうか? まだ生きている生はそうする。必ずそうする。だからして我々は祝祭の場に居合わせた時、常にこう問う必要が有るのだ―――その祭は果たして如何なる生に捧げられたものなのか? 如何なる供物、或いは如何なる贄以て、我々はこれを望むのか? 今だ名付け得ぬ深淵より来る狂気の疑問を、これは抱き迎えることが出来るであろうか?
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