1741.
 如何なる人間と雖も、家畜の生を送る権利を有している。それを否定する程私は傲慢ではない。だが家畜と云うものは大抵の場合、自分が閉じ込められ飼い馴らされいる家畜であることに気が付かないものである。顔を上げて柵の外を見ようとするのは大抵節度と常識を知らぬ奇矯な個体ばかりであるし、そうした不敬者には大抵何等かの天意によって罰が下るものである。それに対して自分が放り込まれている状況が理解出来なければ出来ない程、現状を永遠に続くものと見做し、摂理として肯定し、多少の不満が有っても改変不能であるとして諦めて受け入れ、柵の中にささやかな満足を見出すことはより一層容易になる。そして誰だって満足した生を送りたいものである。大多数の者は自分が自ら望んで家畜の境遇に身を落としたのか、望まずに軛に繋がれたのか、それすらも解らないか、或いは解らない振りをしたがる。従って家畜の生を送る権利を云々すること自体、殆どの場合は単なるナンセンスと云うことになる。


1742.
 自分が「現実」と呼ばれるものに対して、知性を持つ存在として在る限りに於て本来的に負っている責任を忘却すればする程、或いは、無知と鈍感に身を浸して、絡み合う無数の文脈のネットワークの広大さに対して盲目であればある程、人は「夢」を抱き、満ち足り、現状を肯定し易くなる。不穏は諸可能性を想像し、鏡の裏面を覗き見る大胆さを持つことを望む者全てが負わねばならぬ負債であり、檻の中の完全なる平穏は白痴の特権である。


1743.
 「現実」として取り上げられた赤ん坊が、自分が一体どれだけの死産児達の犠牲の上に生まれて来たものであるのかを少しでも想像出来ていたら、よもや自分の存在が満足に存続に値するものであるであるなどとはゆめ思わないのではなかろうか。


1744.
 我々の現実は、そうであり得たかも知れないものどもを絶えず裏切り続ける者のそれとしてのみ成立し得る。


1745.
 我々にとって世界がそれとして在る、唯それだけの為に、我々は全員、大量虐殺者の誹りを免れない。


1446.
 私に見えていないものども、私が知らないものどもに対する罪悪感に苛まれる。疲れて鈍磨しエンジンの回転が低下している時には、その声は小さく、大して気にもならない。だが声が止まった訳ではない。ふと思い出した瞬間を狙って、それは執拗に認識者としての私の罪を暴き立てようと囁き掛けて来る。
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