1723.
 「本なぞ読んでいるより実人生の方が大事だ」などと賢しらに宣いたがる者は、十中八九、書物を体験すること、読書を自分の人生の一部として生きると云うことを知らぬ人なので、その様な戯れ言は殆ど無視して構わない。寧ろ、文字を通じて万有と繋がることを知らぬその偏狭さを嗤ってやれば良い。


1724.
 自分が変わらない旅など、幾ら積み重ねてみても意味は無い。そんなものは旅とは呼べない。場所を変えただけで、精神は同じ所をぐるぐる回っているだけだ。


1725.
 自意識と云う病を病む人間にとって、子供を持つには蛮勇が必要だ。この愚昧と悲惨を賭けたリスクの高い博打を実行するには、闇の中で崖の上で跳躍する様な思考停止が求められる。


1726.
 自ら問いを発する能力が無い者、或いは、自ら問いを発すると発想をそもそも持ち合わせない者にとっては、自らに降り掛かるあらゆる苦悩、あらゆる障害が、この上も無い御馳走に成る。問いを発する者であれば価値の無いものとして殆ど、或いは全く顧みない様な些細で卑小な苛立ちや悲嘆の素が、彼等にとっては自らの生を輪郭付けてくれる恵み深き恩寵と化す。仮令その辺に幾らでも転がっている名も無き路傍の石ころでさえ、それが彼等を躓かせ、転ばせてくれるならば、彼等は嬉々としてその石ころについて、それがその自らの生の限界内に於てどれだけ価値が有るものであるかを、百回でも千回でも繰り返し喧伝して回るだろう。その日の天気次第で即席で創造可能な悲劇、その日の一寸した食べ合わせひとつで手軽に編纂可能な受難劇が、斯くして歓声と区別のつかぬ悲鳴であっと云う間に空しい生を満たしてくれると云う訳だ。


1727.
 人は愚かであることの権利無くして賢くあることは出来ない。愚昧に落ち込む自由無くして、愚昧から脱出する自由など存在しない。選び取られたものではない知が知であろう筈が無いし、況してや、愚を禁止しようとする者が愚とするものが神の如き叡智を備えているなど、一体誰が期待出来よう。我々は謙虚でなくてはならない。どれだけ足掻こうとも原則的に我々は愚から完全に逃れることは出来ないのだし、知を獲得する為の闘争は常に新しく実行されなければならない。その手間は省略出来ない性質のものであって、出来ると考える者が居たら、その者は妄想に囚われているのであって、それ自身盲目であることを証しているも同然だ。
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