1707.
 自己責任:抑圧され搾取され続ける弱者の怨念が既得権益層に向かないようにする為の心理的詐欺の一種。これに騙された者は自動的に視野狭窄に陥り、自らの不幸の原因は自らに、他者の不幸はその他者自らに有ると思い込む為、その不幸の置かれている状況そのものに対する関心を喪失し、関心を持つ者を不道徳と思い込むに至る。論理的な不整合を無視しようとして悪循環に陥り易い為、最終的に自殺に至る者も多い。


1708.
 自由は押し付けを意味し、隷属は自主自立とイコール。おかしな倒錯の時代になったものだ。自己欺瞞もここまで来ると本人達にも全く訳が解っていないだろう。唯、訳の解らない後ろめたさだけが彼等をより凶暴に、頑なに、排他的にする。反照的想像力の欠落は、世界をより迷宮的に、出口の無い迷宮的にする。だがその中で迷っている当人達は、自分達が迷っていることなど全く気付かないのだ。多少なりとも知性を備えていると云う自負の有る人間は、そこでどう行動すべきだろうか。


1709.
 気付いていない訳ではない、気付いてない振りをしている積もりも無い、Y氏とは少し違う、M氏の演説から嗅ぎ取れる群衆の誕生とその危険な陶酔の香りを。私の社会的嗅覚が本能的に警告を発している、私があの不可解で歓喜に満ちた脅威と驚異について学んで来たことの集積が、警戒を解いてはいけないと有無を言わさずに命じている。だが私には彼を非難することは出来ない、懐疑の目を向けることは出来ない。私の無力が私の無能を証明し、それが私の怠惰を証明している。何故こんなにも後ろめたいのか、何故こんなにも罪悪感が込み上げて来るのか。市民(この珍奇なる発明!)社会に対する責任感が、逆に私を寡黙にする、沈黙を強いる。祝福すべき民主主義の誕生の現場を目撃したこと、それが斯くも恐ろしく、胸の高揚と腹の吐き気を伴うものだったとは。勝利への予感が、新生の法悦が、斯くも惨めな敗北感によって抱き締められていたとは。私達は確かに勝利した、だが何に? 一体何を犠牲にして? 何故他の選択肢が選べなかった? 私達は大いなる危機を前にして、開けてはならぬより大いなる深淵を孕んだパンドラの箱を開けようと、いや既に開けてしまったのではないのか? 私は一体何を………怪物を承認してしまったのではないのか? それともこれは歴史に常に付き纏うジレンマだと云うのだろうか? 恩寵には相応の罰が付き従うとでも云うのだろうか? 来るべき悲惨な軋轢の像が、私を責め苛む。一時的にバランス感覚がおかしくなっているだけだろうか、その懸念も欺瞞なのだろうか、長年身に刻まれた疎外の感覚が、少々過激な契機によって解放を求めているだけなのだろうか………。そもそも、私は一体何に包まれたかったのだろう………。


1710.
 幾ら良い種を大量に蒔いてみたとしても、土壌が貧弱であれば、深く根を張り、豊かな花や果実を実らせることは難しい。魂を不必要だと思える程にまで絶えずあちこち掘り返して耕す努力を怠れば、知らぬ間に精神は乾涸び、痩せ細り、それを糊塗する為に何か良からぬ欺瞞と隠蔽が地表を覆い始める。成長は上に伸びるだけでは駄目なのだ、下により深く、広く、しっかりと自らの世界を広げて行くことが肝要なのだ。世界は十分にその負荷に耐え得る。私達が想像している以上、それよりも遥かに、世界は豊穣であり、深遠である。
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