1667.
 超越という病にその身を浸したこの無い精神などと云うものは語義矛盾である。この断定に含まれる暴力を勘案しても、やはりそうなのである。


1668.
 苦痛の経験はその者に特権を与えるだろうか? 少なくとも、特権意識を生じさせることだけは確かである。その驕慢………!


1669.
 疼く様な微温的閉塞感が私の目を晦ませ、まるでゆっくりと喉を絞める様に私を殺しに掛かって来る………。


1670.
 恐怖が一律に我々の諸領域を蹂躙しようとする時、我々に出来るのは撤退か逃亡か、抵抗の手段は有るのか、無力化する方法は有るのか。我々の悪夢の性質を決定するこれらの疑問に、一体誰が答え得ると云うのか。


1671.
 あらゆる言明は、種類の違いこそ有れども、多かれ少なかれ遂行文である。例えば「理想で現実は語れない」と云う所謂「現実主義者」の言明については、それに類する言明を弄する者が増えれば増える程、現実の世界はより、彼等の言う「現実」的なものへと変貌して行く。言明とは謂わば世界制作的な自己実現行為なのであり、それ自らの環境を作り出すべく働く予告文なのである。


1672.
 世界とは、絶えざる同定である。


1673.
 「擬装された何々」について語る時、その擬装が二重・三重のものである可能性は常に在るし、またその言表自体が擬装であることも珍しいことではない。詰まりは我々がどう云う局面をより真実に近いものとして認めるか、なのだ。その選択を引き受けるだけの知的誠実さを、我々は持っていなくてはならない。
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