1637.
 はっきりともう白状してしまおうか、終局的には、私は日常には興味が無い。私が日常にあれやこれやと口を出すのは、自分が日常に煩わされたくない一心からのことであって、日常そのものに関心が向けられている訳ではない。喩えて言うならば日常の問題解決は大学受験の様なもので、確かにそれも大事でそこをクリアしないと先へ進めないのではあるが、飽く迄それ自体が目的なのではなく、目的を達する為の手段、終局に至る為に必要なプロセスのひとつに過ぎない(済まんね!)。


1638.
 極く極当たり前のことなのだが、希望はその反作用として絶望を生む。私にそれが耐えられるだろうか。恐らく無理だろう。無理ならどうする? 無理ならどうする? そう自問している内に夜が白んで行く。


1639.
 生命の素晴らしさを日々確認する為にこそ、我々は生きている。そうでなければ、生きていることに一体何の意味が有ろう。賛美は精神に課せられた崇高にして栄誉有る義務であり、使命である。人間は高貴たり得る。だがその高貴さはそれに伴う義務をきちんと果たしている時に於てのみ認められ得る。


1640.
 成長と深化を友に出来る友、そんな友に勝る友が果たして居るだろうか―――若しそんな友が居たとすればの話ではあるが!


1641.
 私が後に遺して来た、厖大な空無達………それらを埋め合わせる為に、また何か新しい空無を呼び込む………次は何だ? 世界の中に私とそれと、それに傾注されるエネルギー、そればかりが寂寞と広がって………


1642.
 我書く、故に我在り―――そう書いてみた。(あなが )ち嘘や誇張や単なる喩えとも言えない状況に、私は在る。正しく、存在はレトリックだ。
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