1624.
 私が人間としての正気をまだ保っていたらの話であるが、日本語で「明日」は確か「明ける日」と書くのだと記憶している。そうであった筈だし、またそうでなくてはならない。明けない明日に一体何の意味が有ろう。それは既に生きられてしまった昨日と変わらない。


1625.
 満たされた空虚の中で (、、、 )私は独り座している。だが、それは私がどもりだからだ。私が若しもっと上手くやれていたら、私は空虚そのものに成れていることだろう。


1626.
 詩:立ち止まって言葉には意味が有るのだと云うことを考えよと云う内容の説教。


1627.
 私には感情が有る。私にはまだ苦しむだけの心が残っている。それが解った時の嬉しさ、それをどう表現すれば良いのだろう。今の私には只、こうして涙を流してみることしか出来ない。
 そして私は思う、私は書き続けなければならないと。物語れる私が望む、私が必要とする、私が書きたい、私が読みたい物語が、私には不可欠の生存の条件なのだ。だから私は書く。行く先も知らずに、何の為かも知らずに、只ひたすらに書く。書いてみる、ではなく、只書く。それだけのこと。それだけのことなのだ。


1628.
 彼等が私を排除し、除け者にしようとするのは全く正しい。私は平和ではなく争いを齎しに来る者であり、安全と安心をではなく脅威と不安を持ち込んで来る不届きな輩であり、世間様の常識を無視し周りの空気も読まず、絶えず隠蔽されている問題を盛んに焙り出して水面下から引き摺り出し、実に迷惑千万な波風を立てようと日々全く余計なことをしてくれている。であるからして、私は間違い無く正真正銘の不審者であり、それどころか実際要注意人物、危険人物である。私はおかしいことを「おかしい」と口に出して曝け出してしまう異常者であり、そうしなければ死んでしまう重度の障害者―――しかし決して憐れまれたりすること無く、寧ろ憎悪と嫌悪の対象と成る障害者である。見よ、これが私である。この凄まじく狂った途轍も無い騒動の元凶、トラブルメイカー、良くも悪くも他人を―――そして自分をも―――混乱に陥れずにはいかない、とんでもない狂乱の嵐、これこそ私に他ならない。
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