1615.
 私にも力強いユーモア精神が有ればと願う。だがっそうした願望に囚われている時には大抵、ユーモアの恩寵は私の心のドアを開けに親切にも訪れて来てくれたりはしない。どうしたものか。首でも括ってみれば、向こうもクスリと位は笑ってくれるだろうか。


1616.
 多弁と音楽を対決させたら、果たしてどちらが勝利するだろうか? どちらにしても、私には悩ましい結果と成るだろう。それは言葉の敗北を意味するからだ。


1617.
 悦びの言葉、苦しみの言葉、歓喜の言葉、悩みの言葉、悲しみの言葉、嘆きの言葉、虚しさの言葉、満足の言葉、幸福の言葉、絶望の言葉、痛みの言葉、喪失の言葉、………時としてそれらの言葉は口に出して発してはならない。何故ならば言葉と云うものは発せられたその瞬間にその反対の可能性、反動、反撥、反作用の勢力を潜在的に生み出してしまい、そうして世界を真っ二つに引き裂いてしまうからである。そして現実の豊饒さは屢々その偏狭な飽満さを破ってその言葉の発せられた瞬間を裏切り、曾ては真実であったものを、嘘に、否定されるべきものに、存在してはならなかったものへと変化させてしまう。だが、だからと云ってそれらの言葉を殺してはならない。生き埋めにしてはならない。後ろ足で砂を掛けて隠蔽しようとしてはならない。それはその瞬間が孕んでいる真実を丸ごとドブに捨ててしまう所業であり、我々の生、この満ち溢れ、偏在し、変幻自在にあらゆるものの形を採る軽やかな翼を持つ女神に対する涜神行為に他ならない。だから、我々は口を噤むことを学び、練習し、体全体で覚えなければならない。それらの言葉を温かな沈黙で包み込み、そっと抱き締め、卵の様に大切にする方法を模索しなければならない。言葉に呼吸をさせよ。言葉をして自ら脈動せしめよ。言葉自身の生命を尊重せよ。───そうした試みを何度も何度も際限無く繰り返してみて初めて、我々は言葉が我々を生かしてくれることを知ることが出来るのだ。


1618.
 私は彼の手を握り、向こうも私の手を握り、お互い力一杯引っ張り合ってぐらぐらと目が回るまで回り続ける。お互いに相手を振り回し、相手に振り回され、何の負けるものかと踏ん張り、力の限りを尽くして、己の存在を主張し合い、そうして何時の間にかそこにひとつの(システム )の軌跡が出来ていることに、時々は気が付く。私達は星々だ。この広大無辺の大宇宙で出遭い、お互いを形作りつつ、徐々に各々自らの生命を育んで来た、ふたつの巨大でちっぽけな精神達だ。
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