1612.
 見上げれば、渡り鴨の群体。何と云う驚異! 君達は芸術だ! 若し君達を創造した者が存在するとしたら、その者は正しく、比類を絶した天才の名に値する!


1613.
 恐怖無き脅威が支配する時代───我々が生きているのはそう云う時代だ。合理性に照らしてみて正当な根拠を持つ脅威に対しては、須く適正な恐怖が対応しなければならないのだ。だが我々はそれを許されていない。恐れるな、問題は何も無い、目の前に脅威が迫って来ていても、何も起こっていない振りをしろと、有言無言の、積極的消極的、乃至肯定的否定的な各種の圧力が、我々の日々の生活の上に、思考の上に、言論の上に、重く伸し掛かっている。我々は生存への恐怖等からは自由であるべきである。恐怖からは解放された、安心出来る存在を許されるべきである。しか最初に適正な恐怖が認知されていなければ、何を否定すべきか、何を拒否すべきか、改善点も改良点も、根本的な対策も治療法も、打ち建て様が無いのは明らかである。そうした事態を望む者達が居る。それが合理性を抑圧する側、抑圧される側、どちらの側に属しているかは大した問題ではない。肝腎なのは、そうした否認の関係性の中に取り込まれてあることに対して自覚的であるか否か、そしてそうした事態に対して闘争の姿勢を示しているか否かである。我々は恐怖すべきものどもに対しては恐怖しなければならない。脅威を感じなければならないものどもに対しては脅威を感じなければならない。その意味で、恐怖とは人間の最も根源的な権利のひとつであり、そしてまた合理性に忠誠を誓う者達にとっては義務であるべきなのである。恐怖を欠いた脅威も存在を許してはならない。恐るべきものどもを、我々は正当に恐れなければならない。人間存在としてそれは呼吸したり睡眠したりするのと同様、必須の活動であり、理性的存在としては常に最大限の想像力を発揮して保持しておかねばらなぬ、この世界に対して誠実さを遂行すると云う当為的行為である。


1614.
 他者の臨在が、私を不眠と不休の無間地獄へと誘う。他者は直ぐそこに存在していると云う一事に因ってのみ、その情け容赦の無い責め苦を私に与え続ける。それから癒しや救済へと繋がる瞬間が全く無いとは言わない。但、他者は私に近接しているだけで脅威なのであり、それ自体が威嚇行為なのであり、私に世界との断絶と云う恐怖を味わわせるのに充分な潜在的エネルギーを秘めているのである。他者の中には確かに魔力が内在している。それは私を脅かし、私の安眠を奪い、世界と調和している状態へ一石を投じ、不愉快極まり無い波紋を投げ掛ける。その苦しみの深さ、と云うよりも長さは、実に体感される時間の永久遅延と云う悪夢によって私を悩ませ、苦しめ続ける、私が私の裡に安らぐことを妨害し、折角和解して落ち着いていた世界との折り合いを打ち壊し、何もかもオジャンにして、しかもそこで嘲笑うでもなく勝ち誇るでもなく、唯々その無言の不可解な眼差しを私に投げ掛け続ける。それは絶え間の無い尋問であり、忍耐の限界を知らぬ取り調べであり、私が私の底へと辿り着こうとするのをどうしても邪魔してやろうとちょっかいを出して来る、実に忌々しいトリックスターの悪戯である。私は眠りたい。自らの裡に、世界の裡に安らぎたい。だが奴等はそれを許してはくれない。その理由すら、何の説明も与えてはくれない。私としては一体どうしたら良いと云うのか!
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