1601.
 「常識」の一言を持ち出しさえすれば自動的に数々の不合理への免罪符が発行されると信じて疑わない輩には、凡そ彼等の無知を指摘してやるところから始めねばならないが、不合理を不合理と認識してさえ尚日常にしがみ付こうとする彼等の習性を矯正するには、合理的な思考を現実に投影して行動すると云う生き方そのものから積み上げて行かねばならない。そのことに伴う苦労の膨大さを思えば、事有る毎に私が思わず口を噤んでしまうのも不思議ではあるまい。


1602.
 恋愛:物語を基調とする芸術媒体に於て、話を先に進める為に最も頻繁に用いられるマクガフィン。極めて汎用性が高い為、数々の分野の作者達が重用し、登場人物達の年齢や境遇、物語の作風等に依って数多くのヴァリエーションが存在する。


1603.
 断絶され、バラバラに切り刻まれ、分裂させられた生を私は送っている。表面のみによって成り立っている人間ならばそのことはさして苦痛には成らないだろうが、生の総体を全き実感の内に求め続ける者にとっては、これは拷問以外の何物でもない。


1604.
 全く波風が立たない無風状態を守るべき平和だと勘違いする事勿れ主義は、民主主義や人権思想とは両立しない。自立した思考する人格として人々が振る舞おうとする時、そこには波風が立つのは必至である。管理責任者の視点から見て、それが不愉快な出来事であると云う理由で正当化が主張される様々な禁止措置は、それが物理的な暴力を伴うか否かに関わらず(言葉だけでも人は殺せるのである)、要するに弾圧であり、仮令一時的に「話し合い」と称されるものが当事者間で持たれることが有ったとしても、多くの場合「臭いものに蓋」式の、理非直曲を問う言論の排除と隠蔽に他ならないとい云う事実を鑑みれば、まともな人間が支持すべきは寧ろ「事構え主義」であることが容易に洞察出来る。平和とは、暴力以外の手段に依って、少なくとも他者の人権を侵害しない程度の手段に依って闘争を行うことが許された状態のことであって、闘争そのものが禁止され消滅させられる様な状態は、全体主義の一翼と呼ばれるのに十分な資格を備えている。


1605.
 暗くて、寒くて、独りぽっちだった───私の幼年時代についての印象は、一行も有れば足りる。
 我儘で、嘘吐きで、独りぽっちだった───幼年時代の私についての印象もまた一行も有れば足りる。
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