1562.
 なまじっか抽象的な思考に慣れてしまうと、「気の持ち様ひとつ」などではもうどうにもならぬ所へ落ち込んでしまって抜け出せなくなる。難儀なことだ。


1563.
 些事にかまける人間の能力は全く驚くべきものだ!と慨嘆してみた後で、その暗黙の前提と成っている条件について、少しばかり顧みてみる………そうだな、「!」は外しても良いかも知れない。給料日前に成る度、自分が利益を稼ぎ出す為の名を持たぬ単なる道具であり、俗っぽい目的を達成する為の顔を持たぬ手段であり、既得権益の同調圧力と云う大いなる悪意のお情けによって辛うじてその生存を許された、人格を持たぬ卑しいゴミの様な賃金奴隷であることを思い知らされる。私は縛り付けにされようが罵倒されようが何をされても文句のひとつも言えない人権を剥ぎ取られた一個の生産性の低い労働力であり、尊厳などとは切り離された無縁社会の隅に吹き溜まる出涸らしの塊の様なものだ。


1564.
 生を渇仰するのははしたないことなのだろうか。真理を憧れ続けるのは嗤うべきことだろうか。世界を、宇宙を、全体を追い求めるのは恥ずべき不道徳なのだろうか。日常と云う名のこの暴力、間断無く耐えねばならぬこの屈辱、世人の目と云うこの忌々しいドブの底の沈殿物の様な奴隷商人………!


1565.
 全く誰の声も聞かずに(無論電話や手紙もだ)私と云う個人が自覚される事態に全く遭遇せずに、全くの無名、無現、区別されざるひとつの全一として生活することが出来たとしたら、私はもう少しこの世界と折り合いを付けて行かれると思うのだが。


1566.
 頬にぶつかって通り過ぎて行く風、少し俯いた時の首の筋肉の撓み、ポッケに入れた両の拳の、中が少し湿って外が冷たく乾いた感覚、両足を繰り出して行く時にズボンが擦れるサッサッと云う音、足裏と地面との間で衝撃を遣り取りするくたびれたスニーカーの触れ心地、少し空いた空間を作ったり或いはまたぴったりくつこうとする両脇腹と両腕との間隔、眼鏡のフレームが顔の汗や脂質の上で微かに動く感触………言葉に出来ないものどもは山程有る。両手にとても抱え切れぬ程の不可能に取り囲まれて、私は生きている。音楽や絵も、それらを異なる象徴形式で表現しはするが、それらとて結局影の影から生まれた新しい形達に過ぎず、この一見単純だが実に大量の情報が氾濫する極く具体的な目の前の事態を取り尽くすことなど出来ない。何と云う絶望が、そしてまた同時に、何と云う希望が、無際限の諸可能性が、未開拓の儘私の前に広がっていることか。この無力感が同時にまた、私が探究すべき道が尚残されていることを保証してくれるのだ。
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