1551.
 底冷えのする氷雨の夜、不意に「ふるさとの味」が懐かしくなって、近くに郷土料理の店は無いか、通販で食材を送ってくれる所は何処か、ネットで色々と調べてみる。だがその内或ることに気が付いてその試みの不可能性を悟ってしまう。私が求めていたのは単独の料理それ自体なのではなく、その料理を食べる時に纏わる、或る種の体験の総体であったのだ。この場合の味覚は根源的な知覚などではい。寧ろ社会的に醸造され、個人史の中で彫琢され、思い出の中で反芻さあれ、再構築されるものなのだ。


1552.
 雪の暖かさを思い出す。あかぎれと鼻水を友として、あの肌を灼く冷たさは何と自由の味を滲み込ませていたことだろう! この街の寒さは只、寒いだけだ。


1553.
 自由に空を飛び回ることも許されず、食餌も決まったものを与えられるだけで、何を考えているか判らない気紛れで残酷な巨人の慰み物として、一生籠の中で飼い殺しにされる───私が昔飼っていた紅雀の番いもそんな風だったのだろうか。だとすれば、彼等が一度籠の中から逃げ出した時、躍起に成って彼等を掴まえ、再び籠の中に戻したのは、今考えれば何とも悔やまれる行為だった。彼等の場合飛ぶ為の筋肉も奪われてはいなかった為、それはより一層惨い仕打ちであったことだろう。


1554.
 具体的な恐怖と云うものは有り得るのだろうか? 何か具体的な脅威が接近しつつある時、怯え戦く方は寧ろその個別的実体性を剥ぎ取られ、非人格的事態へと変貌を遂げるまでに徹底的に圧縮され、ひとつの普遍へと転落して行くのではないだろうか? とすると、少なくとも関係としての恐怖の成立について問う場合、具体-対-具体のものとしてのそれは、不可能性の領域へと押し遣られてしまっているのではないだろうか? であれば、ひとつの非人称的一般化へと抽象された恐怖する側が、その具体性を取り戻すには、自らもまた他者を恐怖せしめる他は無いと考え、復讐と云うよりももっと切実な要求に支えられた純度の高い悪意を無反省に周囲に撒き散らそうとするのは、極く自然な反応であるとは言えないだろうか?───或いはこうした設問自体が、単なる程度問題を大袈裟に捉えただけの馬鹿気たものかも知れない。


1555.
 「出してくれ! 早くここから出してくれ!」生まれ落ちて後、物心付いてから一体何度、そう叫びたい衝動に駆られたことだろう。
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