1546.
 我々に精細に踏査されるのを待っている未知の国 (テラ・インコグニタ )を見付たければ、何も地の果てにまで足を伸ばすには及ばない。我々の直ぐ目の前に、足を抜き差しすることも叶わぬ広大で肥沃な領土が広がっている。それは我々の盲点に、死角に、慣習と教育と性向とによって長い時間を掛けて気付いていない振りをするように仕込まれて来た、見えていないことになっている領域に存在する。その存在を認知する為には、何も難しいことは必要無い、諸々の先行判断を捨てて、現実を偏向の無い目で見ようと努めること、たったそれだけで、実に様々な「見えなかったものども」が次々と姿を現して来る。無論それだけでは済まず、各種の技術や道具や手順を欠いては見出すことの出来ぬものども存在し、そちらの方がより領土は大きいと考えられるのだが、しかし未踏の原野、解かれるべき謎の不足を嘆いているのであれば、新しいものへと手を広げる前に先ずやっておくべきことは山程有る。要は発見するには気付きさえすれば良いのであり、気付くには無視するのを止めれば良いのである。


1547.
 身体が不調を訴え、熱に魘され、悪寒に震え、立って歩くことすら辛い時には無性に家族の──より脅威的ではない慣れ親しんだ他者の、我々に対して明文化されていない、それ故一層強力な義務と絆とによって結び付けられている他者の──保護を求めたくなる。その時には無償の行為と云うものが実に生々しく有り得るものなのだと感じられ、人間的な紐帯と云うものの価値を寧ろ積極的に認めたい気分に成る。そんな現金な愛情と云うものが果たして他の時の自分の挙動や信条と一致しているのかどうか、それすらも何だかもうどうでも良くなり、唯火照った肌に感じられる温かい手の平の温もりをい、ひたすら味わっていたいと思う様に成る。これは一種の敗北と言えるだろうか?───多分そうだろう。逆境の中で強がりを通すことさえ、私には出来ないのだ。


1548
 忌々しい寒気の中で、私は自分が一個の肉体であることを呪う。だがそうしている間にも、こうして筆跡がどんどん乱れて行くのを止めることは出来ない。


1549.
 失われてしまった多くの言葉達───彼等の供養をしてやりたいと思う。だが彼等がどんな(かお )をしていたのかさえ、今では思い出せない。


1550.
 「病める時も、健やかなる時も」………健やかなる時、愛は嗜好品である。病める時、愛は必需品である。家族愛や人間愛、同胞愛を己の内に呼び醒ましたかったら、自分ではどうにも成らない苦境に陥ってみるが良い。
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