1536.
ごっそりと削ぎ落とされ、切り捌かれ、歪に加工された世界を見せ付けられることの悍ましさを、彼等は本当に理解出来ないのだろう。無視したり軽視したりしているのではなく、より豊饒で多様な、眩暈を齎す世界の相貌の存在を、単に知らないだけなのだ。彼等は謂わば認識に於ける不具者達なのであり、ぼんやりした哀れむべき片輪なのである。だが彼等の陣地内に足を踏み入れるや否や事情は逆転し、我々の方が寧ろ傍観者達であり、短気で粗暴なハンディキャップを背負った存在と化すのである。


1537.
寂しさを覚えるのは、寒々とした空っぽの孤独に於てではなく、荒涼とした風景の中でほんの僅かの温もりに触れた時だ。精神を苦しめるのは何時だって境界上のことなのだ。闇が一層深くなると同時に、果たしてこの後に夜明けは本当に訪れるのだろうかと云う不安が胸に兆す。そしてそのちっぽけな破れ目から、普段忘れ去っていた古い古い恐怖がにたにたと酷薄な笑いを浮かべ乍らこちらの世界を覗き込んで来る。怖い。怖い。堪らなく怖い。


1538.
人間性に対する深い理解、人間の精神の諸可能性に対するより開けた視野を伴うこと無しに、人類の進歩は有り得ない。この点を先ず捉え尽くすこと無くしては、希望も絶望も抱くことは許されない。そして力を持つ者にとって、この点についての無知と無理解は常に罪であり、義務の不履行である。


1539.
最も能く私の存在を私自身に対して証明し、納得させてくれるものが、この今にも気の狂いそうな、十分な孤独の裡に於ける圧迫感、不穏の気配、今にも緊張の糸の切れそうな恐怖であると云う事実は、実に忌々しい皮肉か、さもなくばとことん性質 (たち )の悪い冗談に他ならない。()んな歓喜と法悦の瞬間にも疑惑の影は差し、如何なる持続的不動心も、やがては風が吹いてふいと掻き消えてしまう。恐るべきこの混乱と狂燥こそ、何かが起こる毎に私が立ち返る基本的な事実であり、惰性によって繋ぎ止められた不恰好な根っこであり、重要な想起の悉くがそこへと自動的に収斂する初期値である。


1540.
最近は倦怠ではなく疲労が私の体の芯を蝕んでいる。死につつあるのはどちらの状態も同じだが、前者が苦い自覚を伴うのに対して、後者は自分ゾンビと化していることに気付かないと云う、精神の空洞化を意味している。無論そこでは言葉も力を持たず、苦悶の内から何かが生まれ行くと云うことも起こらない。それは単なる不妊であり、流産や死産ですらない。
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