1532.
恐らくは皆、病人なのだ。皆、根治し難い業病を抱えているのだ。皆、精神の内奥をズタボロに食い荒らされてしまっている哀れな被害者なのだ───とでも思わないことには、どうしてこの馬鹿気た世の中を日々やって行けるだろうか。


1533.
何であれ、物語を()ち得たものは、幾許かの涙に値する。仮令それ自体の内的要因に涙の理由を見付けられなかったとしても、それを取り囲む諸コンテクスト内のどれかが、必ず何処かに突破口を隠し持っている。


1534.
軽侮は自尊心の当然の防衛機能として軽侮を誘発する。他者を貶めることによって優越を確認しようと云う態度は、従って伝染する。私が家族の様な若干の例外を除いてどんな相手に対しても(日本的人間関係や日本語と云うこの途方も無く七面倒臭いシステムの中では屢々その目的を達成していない様ではあるが)、丁寧な態度、少なくともそれを意図した態度を取り続けるのは、ひとつには他者から軽んぜられたくないからであり、無用の嘲笑と陰口を大量生産させない為なのだ。私は現実の悪口雑言や罵倒の応酬を楽しめる程人間に精通してはいないので、こちらから一方的に発信する場合に於ても、一般化や抽象化の段階を抜きにして冷笑や皮肉を人前で口にしたり文章に起こしたりすることは無い。私は遠慮しないし、上手に遠慮する術をも知らないので、よくずけずけとものを言うが、反面、他者からの攻撃に因るストレスにはとことん弱く、哀れなまでに傷付き易いので、耳を塞いでいられるだけの十分な予防措置無しには、どんな暴言も吐く気には成れない。


1535.
上手に生きて行く為には、目を閉じ耳を塞ぎ口を噤み鎧を身に纏って檻の中に閉じ籠もり、勝手に遣って来るあらゆる情報をシャットアウトしなければならない。そして日に一度与えられる臭くて貧相な飯に満足し、「全てこの世は事足れり」と歌うダミ声の大合唱に参加しなければならない。切り捨てられない無数の諸世界に対して誠実さを貫こうとする者は、少なくとも二種類の鈍感さを要求される。ひとつは、内心ではどうあれ他人達に対して自らもまた定められた道筋から外れることの無い愚物仲間であると、その「普通」さを見せ付けてやらねばならない。もうひとつは、他人達から向けられる十分に根拠の有る様な非難に対して、只でさえ傷付き易い自分を守る為に、そうした非難を深刻に受け止め過ぎないだけの、自らの抵抗力に見合った、諸々の人間らしさに対するフィルターを、言葉と視線の周りに張り巡らさなければならない。諸世界に対して厚顔無恥である輩達に対してはどれだけこちらが厚顔無恥に振る舞ったとしてもまだ足りないのであり、正常さ、健全さ、有能さ、有益さと云う表現に於て、単一性、画一性、同質性を要求することの途方も無い、気違い染みた蛮行に対抗するには、如何なる奸智と云えど多過ぎることは無いのである。
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