1526.
アリストテレスは徳や卓越性の本質をその中庸性に求めたが、凡そ人間的なもの一般についても、中庸──即ち、バランスと重要性は幾ら強調してもし過ぎることは無い。悪徳も獣性も、野蛮も品位も、欲望も感情も、志操も知性も、全て度を越さないこと、許容限界を突破しないことが肝心である。針がどちらに振り切られても、それは最早人間社会に相応しいものではない。そうしてその成立の脆さが一旦露呈されてしまうと、後に残るのは只の肉の塊、単なる生存と云う事実、そしてその絶対的支配と云う、心潰されるとことん醜い現実である。


1527.
破滅に心惹かれるのは、破滅したいからではなく、破滅したくないからだ、破滅に打ち克ちたいからだ、そんなことは分かり切っている。だが、乗り越えられるべきこの当のものに形を与え、名前を与え、色を塗ってこね上げている内に、やがてはその危険から来る不安と陶酔の攪乱された対流の緊張の中で、私は自分の立っている場所を見失い、途方に暮れて、次第にそのギリギリの圏内をウロウロと彷徨い続けることそれ自体が目的化して行くのを、只指を咥えて見ている羽目に陥って行く………。


1528.
部分や個別を基本や普遍と取り違える、しかもそれを他人に強要する輩には我慢がならない。連中には連中なりの独自の宇宙と云うものが有るのだろうが、こうも白昼堂々大きな顔をしてのさばられては、まだしも普通の精神病患者の方が、「彼等は治療の対象なのだから」と云う認識がこちらの優越感や自尊心を確保してくれる分、増しと云うものである。ところが残念至極なことに今のところ、私の周りにはそうした狂人以下の狂人達、自ら箍を外してしまっていることに気が付かないうっかり屋連中、ちまちましたもういっそいじらしいとでも言うべきせせこましい世界にしか居心地の良い場所を見付けられない、凡そ救い難いとしか言い様の無い輩共しか居ないと来ている。確かに人は皆それぞれの置かれているコンテクストに応じて身を処している。だが、余り細々としたローカル・ルールを絶対化し、それが法であり真理であると心得ている者達に取り囲まれていたのでは、私が始終不機嫌に取り憑かれ、無力感と徒労感に苛まれ、嫌悪と憎悪と軽蔑で内心を一杯にしていたとしても、一体誰に私を責める権利が有ると云うのか。


1529.
一編の詩は可能だろうか? 勿論だ。一時の錯誤、仮初めの迷妄、出来の悪い皮肉めいた冗談としてならば、今この瞬間にでも可能だ。
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