1503.
時代に埋没し、時代と一体化し、時代と共に歩んでいる様に見える人々の様には、私は成りたいとも思わないし、成れる筈の無いことも解ってはいるのだが、時として胸の中にキリキリと疼く、あらゆる同時代性から見放され疎外されていると云う感覚や、その孤独感から来る不可侵性を前提にした憧れが、私の意に反して湧き上がって来るのは如何ともし難い。無色透明な霊的存在でありたいと希求する心と、思う存分地上の生活を満喫してみたいと秘かに思う心、或いは地上に在って王の一人でありたいと望む虚栄心とは、時に実に露骨に反目し合い、みっともない葛藤と対立とを繰り広げ、頼んでもいないのに私に恥の何たるかを思い出させようとする。


1504.
この野卑で粗忽で、洗練からは程遠い稚拙な私の文章に某かの取り柄が有るとすれば、その率直さ位のものだろう。とは云え、「赤いポストは赤い」と云う様なことを延々と言い立てることに何か意味が有るのかどうか、往々にして疑問に思わないでもない。


1505.
今の世の中、一寸先は闇、次に何が起こるか分からないから恐ろしいと人は言うが、それは嘘だ。次に何が起こるか、どんな危険が、どんな危機が襲って来るか、我々は大体の見当は付いている。正確にどんなことが起こるかは分からなくとも、多少なりとも想像力が働く人間であれば、どんな種類の脅威が眼前に立ちはだかるであろうか、その大凡の射程位は了解している。我々が未来に託して「未知」の名を冠して恐怖するところのものは、不完全な仕方に於てのみ未知であるに過ぎない。そうでなければ我々は疾っくの昔に発狂しているか、全てを諦めて絶望を通り越し、無気力状態の中に停滞している筈である。完全に予測が付かない変化に対しては、人は、生き物は、為す術を知らない。我々が今だに何とか日常を送っていられるのは、これまで蓄積された経験が、日の下に新しきもの無しと教えてくれているからに他ならない。我々が未来を未知のものと呼びたがるのは、絶えず事象の表層をばかり滑っていたいと云う我々の怠惰に起因する願望が張り切って精を出している為か、さもなくば地を覆う索然とした nil admirari の感覚に支配されたくないと願う精神が、一丁前に反抗心を起こして、さして面白くもない諧謔を発揮したがるからである。予測可能な恐怖や多少なりとも馴染みの有る恐怖であれば、それらに耐え得えるのはより容易に成る。そうでなくては日々はとても耐え切れぬものと成るだろうし、その事実を皆心の底では知っているのである。但それを正面から認めてしまうと、これまで目にしたことも無い深淵に直面せざるを得なくなるのではないかと云う不安が、我々をしてさも当たり前の様に目を背けさせているのである。だが生命は更に狡猾で、そのことから来る不利益を必ずしも放置してはおかない。当人達がどう思おうと、要は結果的に明日を生き延びることが出来れば良いのである。我々は絶えず未来から、既に知っている筈の光景から目を逸らし続けつつも、少しずつその未来から盗み取って来た果実を貪りつつ、この欺瞞的な日常を繰り返しているのである。
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