1494.
具体的な現実としては、我々の前には常に複数の選択肢が用意されている。だがそもそもそれらの提示された選択肢の何れをも選ばないと云う選択の余地が残されていないとしたら、それは強制されたものであって、全く自由であるとは到底言い難い。


1495.
人間性の本質は変化することが無いと頑強に言い張る者でも、社会の、共同体の、或いは国家の在り方について、そのことを理由に一切の進歩が不可能であると断じる程厚顔で頑迷な者は先ず居ないだろう(尤も、嘲弄や批判を自ら招き寄せておき乍らけち臭い自らの確信にしがみ付こうとする想像力の欠如した輩は何処にでも居るものだが、彼等は自らの知的誠実さなどと云うものをそもそも気に掛けたりすることが無い)。二万年前や二千年前の人類が抱いていたのと同じ生存の恐怖を現代の人類もまた抱いていなければならぬとは、我々の恥辱以外の何物でもなく、況してや、それが誰かの意志と決断に依てどうとでも左右される様な事柄であればもう呆れ果てた犯罪と言うしか無い。


1496.
誰だって食べたり飲んだり眠ったり風呂に入ったりトイレに入ったり、服を着たり家に住んだり、要するに生活しないではいられない。生きている限りそうしたことは必要不可欠であり、最低条件を満たして日々を送る、または送ろうとするあらゆる人々にとって、避けては通れぬものである。従ってここから、生活の為に為される労働は、程度の差は有れ全て強制労働であると云う結論が導かれる。


1497.
葉の中に蠢く不安に、葉脈を流れる恐怖に、私は戦慄する。空間全てに漲る生命に、待機に充満する冷厳たる力動に、私は身を凍らせる。その沈黙の眼差しは一切の容赦を排し、永劫より震え来るその悍ましい営為は、妥協も慈悲も関心すら持ち合わせてはいない。語り掛けるべき何者もそこには存在せず、手を差し伸べることも、歩み寄って行くことも出来ない。一切は永遠の中に静止し、絶えず活動してはいるが、その活動と云う事態そのものはあらゆる変化を超越して何処までも同一のものであり続ける。あらゆる励起と寂滅とを呑み込んで尚深いその空ろな(あぎと )は何を歌うでもなく泰然と万物を表し、こちらの緊張と狂気なぞお構い無しに果ての無い生成を繰り返し続ける。
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