1480.
恋愛感情に襲われた時に私がそれに囚われない為に取った様々の心理的行動は、私の涙ぐましい努力に因るものかそれとも個々の人間に対して冷淡な私の気質に因るものか不明なのだが、全般的な傾向としては後者なのではないかと云う結論を取りたくなる。何しろ私は自発的な選択が或る程度可能な友情に於てさえその対象の現前性をばかり重んじて、その背後に人格の永続性を見ようとはしなかった人間なのだ。恐らく私にとって生身の人間とは目の前に居て私と真剣に話をしている時だけ存在するのであり、それ以外は悉く私の心を掻き乱す邪魔な障害物でしかないのである。


1481.
生活に於ける持続する喜びは創造にこそ在る。自らの頭で開拓して行く活動を伴わない生活は須く無意味であり、馬鹿気ており、人間性の持つ諸可能性に対する侮蔑であり、人類の未来に対する裏切りである。しかもそれが気質上の怠惰に因るものならまだしも、恒常的に人をその人生から疎外させておく為の制度ががっちりと人々を銜え込み、下らない尊厳を欠いた存在へと貶めていると云う事態は言語道断であり、断固として許し難い。人は自らが知り、自らが作り上げる世界を広げて行く本能を持つ。がそれは権利でなくてはならないし、人類全体に課せられた使命としてその実現へ向けての努力が義務付けられている至上の要求である。


1482.
至る所に警備員を配置し、監視カメラや警報を設置し、「不審者」を排除し、清潔さを保ち、異端を許さない視線の網の目を張り巡らす―――金持ち連中のこの涙ぐましく且つ偏執的な努力は、自らを檻の中に閉じ込めると云う点では殆ど自虐的であり、その有様は刑務所の囚人達と大差は無い。金で買われた安全は、屢々法を盾に取るものの、その脆さと来たら、目に涙を誘うばかりで、あちらに綻びが見えたと思ったら直ぐ様それを繕わなければならず、かと思うとあちらに穴が開き、休む間も無く今度は向こうの亀裂が出来ると云った具合で際限が無い。乾いた砂で城を作る様な努力をし乍らも、その多くは間接的に自らの安全を脅かすことになる様な火種を播くのに加担しているか、さもなくば黙認している。この馬鹿馬鹿しいまでのマッチポンプのお陰で金が動き、本来であればもっと有意義な目的にも使えた筈の金がドブの中に雪崩落ちる。斯くて覇権資本主義は益々その大輪を花開かせ、気違い染みた世は気違い染みているなりに全て事も無し、と云う具合に納まるのである。


1483.
「労働は尊し」などと云うのは、倒錯者の世迷言か、賃金奴隷が自分を納得させる為の言い訳か、さもなくば奴隷達が従順でなければ利益を得られない持てる者達の口実である。そもそも何故生活の為の手段がそれ自体で目的とされねばならないのか。古代ギリシャに於てポリスの住民達を市民としての尊厳有る存在たらしめたのは、奴隷達の行う仕事では勿論なく、日々の生活の労苦から解放されたところで行われる、自由で自発的な創造的行為であり、人類が普遍的に満たさねばならぬ細々とした瑣事の必要性を奴隷達が満たしてくれることから生まれる余暇、ゆとりに於てのみ初めて花開く諸可能性、全く何の実用的目的にも益しない様々の行為の追究であったのである。それらは最低限の生存を続けて行く上で他に選択肢が無いから選ばれた訳ではなく、況してや「日々の糧を得る」為に行われたものでもなかった。ポリスの市民達は「働かざる者食うべからず」などと云う格言は一笑に付したであろうし、そんなことを言う者の正気を疑ったかも知れない。この点に関しては古代ギリシャ人は現代の我々よりもまともであった。我々は彼等を見習うべきである。彼等が奴隷を所有していたから何だと云うのだろう。今日の我々には奴隷の代わりに機械が有る。今のところ、産業ロボットや車やパソコンの権利を考慮する必要は無いのだから、それ等が浮かせてくれた仕事の分を他のもっと有意義なことどもに振り向けてはいけないと云う理由は全く無い。少なくとも労働が生活を支えると云う目的に奉仕している限り、それが徳であるとか人間の営みに於ける必然であるとか云う考えは馬鹿気ている。それは選択であり、自由な欲望であるべきである。
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