1470.
生活の必要がさも当然の権利の様に目隠しを要求して来る身分に在っては、凡そ正気を保ち続けるのは難しい。砂の中に頭を突っ込んでぎゃあぎゃあ無意味なことを喚き立てる様な連中と、一体どうやって共存出来ると云うのだろう。


1471.
じわじわと包囲されて行く日常に在って私の望むのはスサノオでありゴジラであり、破壊による再生であり善を為す為の悪であるのかも知れない。だが、その狂気と混乱と、何より痛みに私自身が耐えられるのかとなると、甚だ疑問だ。私のヤワな精神は、私自身の憤激の重さを支えることは出来ないだろう。


1472.
人工の照明は、人間の活動範囲を拡大させはするが、それは飽く迄近視眼的な距離感覚に於てのことである。我々はせせこましい光を手に入れた代わりに、闇の深みと遙かなる光を失った。それは不可避の事態だった訳ではない―――少なくとも、理性と想像力とを持ち合わせた人間にとっては。


1473.
極論すれば、「日常」に同化し切れぬものなど存在しない。従って「非日常」と云う言い回しを用いるのは、想像力が欠如した者か、現実の階梯をいちいち断りを入れて区別して表現するのが面倒な為に安易な表現を選んでしまう者か、大抵はその二通りに別けられる。


1474.
飢えと恐怖と、果たしてどちらがより根源的な本能であろうかと暫し考えを巡らせる。飢えとは一種の恐怖に他ならないではないか? 飢えの極限に於ては感情など摩滅して消え去ってしまうものではないか? 圧倒的な恐怖の前に肉体的な諸々の欲求は、一時的にせよ姿を消すのではなかろうか? 自己保存の本能と云う概念をどの様に規定すべきか? 生存の為のシステムとして、欲求と感情とをどう説明すべきか? 昆虫や微生物は「欲求」や「感情」と呼べる様な機構を持つだろうか? 等々………。呑気にこうしたディレッタント的な問いと共に時間を過ごすことが出来るのも、私が今現在過度の飢えにも恐怖にも悩まされていないからだ。願わくばその問題を実地に検証する羽目になりませんように!
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