1448.
言葉は全てを表している訳ではない。そのことを忘れていなければ、少しは正気でいられるだろう。


1449.
言葉は全てを表せる訳ではない。そのことを忘れていられれば、少しは心穏やかでいられるだろう。


1450.
それが暴力へと繋がる可能性を常に孕んでいるからと云って、追究する意志そのものを否定していたのでは、唯緩やかな自壊と堕落が有るばかりだ。


1451.
私を呼ぶ声が聞こえない。私を名付ける声が聞こえない。私は何にも成れなかった。私は未だ誰でもない。それ故に私は死ぬことが無い。生きることも無い。世界が続く限り私は混沌であり、単なる欠如としての無であり、誰も見たことの無い可能性である。


1452.
明かりとは、世界を照らし出す進歩の象徴などではない。それは闇の中に広がる広がりを閉め出すことによって、その広がりから我々自身を疎外し、具体的な生へと立ち戻る可能性と云う壁を我々の周囲に張り巡らせることによって、その彼方に在るものどもを不可視にしてしまう目隠しである。習慣化され、制度化されたそれの大規模な常時使用は決して意識されざる壁と成って我々を取り囲み、檻として我々を卑近なものどもの中に閉じ込める。恐怖を不安と貪欲の代わりに神経質な潔癖性がその鍵と成り、絶えざる監視の目が未知の中に潜む安らぎを奪い去り、その無反省で無節操な肥大化と共に我々を白痴化する。我々は文明の名を借りた巨大な洗脳装置の中に投げ込まれているのであり、全てが自分達の手許に在って制御可能でなくてはならないと云う強迫観念の中毒にされているのであり、光と云う暴力に絶えず小突き回されることによって頭の中を攪拌され、フラットにされているのである。


1453.
私は肉体的には酷い近視だが、精神的には重度の遠視である。目の前のものはそれをはっきり判別することは疎か、その存在自体に気付かないことすらよく有る。従って目の前のものは精々が直接に手で触れてその存在を確かめているものにしか注意が行かなくなる。その結果として、行動に於ては極度の近視とそう変わらなくなる。
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