1429.
雪国生まれの者については特に言えることなのだが、一寸した挨拶程度の言葉でさえ、時に圧迫感の有る強力な威嚇で有り得る。寒冷な気候の下では、言葉は屢々世界を掻き分けて進む雪掻きの様なものであり、何処でも吸ったり吐いたり出来る空気の様なものではないのだ。
1430.
埋没し切った、幸福そうな者達——彼等の笑顔について、私はどうこう言う積もりは無い―――彼等が無言の――言葉を持たない眼差しで私を取り囲み、同化しようと襲い掛かって来ない限りは。
1431.
ひとつの遂行である創作活動に於ては、無視や軽視、隠蔽や抑圧、歪曲や沈黙もまた、雄弁に何かを物語ることが出来る。仮令それがどれだけ事実に反していようと―――と云っても健常な批判力を備えている人間ならば、その含意し得るところについて自ずと或る程度の制限が出来て来るものなのだが―――それがひとつの創作された生を代弁している限り、そのこと自体について非難される謂れは全く無い。
1432.
心惑うな、とは言わない。心惑ったとしても、そのことを否定してはいけない。若し否定したとしても、そのことを否定してはいけない。混乱しているなら混乱しているその在りの儘を先ず受け止めること、そうした傲慢さが無ければ、何も始まりはしない。
1433.
或る種の恐怖は、或る種の笑いと同じく、意味を無化することによって現実を解体する。但し笑いの場合は笑いの対象となるものの意味が没落するのに対して、恐怖の場合は、恐怖の対象となるもの以外の全てのものの意味が没落する。対象と対象の置かれたコンテクストの関係が根本的に変化すると云う意味では両者は似通ってはいるが、笑いの場合は対象がコンテクストに対して意味の不足や断絶等に悩むのに対して、恐怖の場合は寧ろ対象があらゆるコンテクストの上に意味の過剰を打ち撒けて行くところにその特色が有る。
1434.
私の日常生活は余りにも俗塵に塗れている。若しヘラクレイトス風の貴族主義をその反動として発達させていなかったとしたら、私の人生はもっと悍ましく救い難いものになっていたに違い無い。