1417.
過去形の語り口の中に現在形を潜り込ませる文章を私は好まない。過去形とは即ち節度と自粛であり、自分の扱っているものが既に確定され完結した、不動の結果であることを表すひとつの態度である。対して現在形の密輸入からは、事象が今正に生成しつつあり、且つ自分がその生成の全貌を捉え切れているのだと云う傲慢さが滲み出す。それは事象が生成しつつある時点で既に確定済みであると云う、些かの神秘の入り込む余地をも許さない暴力的な地上主義の表れであり、死物として生み出された世界の中に生きよと読者に強要する、夜郎自大な振舞いである。
1418.
生活に、日々の暮らしに、何百回何千回と繰り返される途方も無い徒労の中に、充分な慰藉と満足を得られる者達は、とても自分と同じ人間とは思えない。彼等は何処か別の世界から遣って来た者達なのだ………いや、それは寧ろ私の方だろうか?
1419.
正気か? と思う。無論正気ではない。正常な想像力を持っている者にならば誰にでも判る。
1420.
私にとって不運なことに、私は彼等のゲームに付き合いたいとは思えない様に出来ていて、またそのことを変えたいとも思えない。結果、私にとっては最低限のルールを守りつつ、それでも隠せずに表に出て来てしまう無関心を、如何に取り繕うかが重要課題と成って来る。そのことに割かねばならない労力を考えたら、私が年中サービス残業をしている様な面構えをしていることも、無理の無いことなのだと理解出来るだろう。
1421.
既に適応してしまった者達には、取り敢えず「おめでとう」とでも言っておこう。だからと云って、私が彼等を見習わなければならない義理はこれっぽっちも無いし、見習いたいとも思わない。彼等が私を面倒事に巻き込まない限り、節度有る距離を保っていられたらと思う。だが結局、限度を超えてしまうまで、互いにひたすら不快さを耐え忍ぶしか無いのだ。
1422.
科学の進歩を促すものは二つ有る。妥協と思い込みだ。「部分的な真理」に耐える方法は人に依って様々だが、大方はこの両者の間に存在する無数のヴァリエーションだ。