1393.
最初から他者に侵蝕されたものとして我々は在る。とすれば我から始めた場合に他者が見付からぬと嘆いたり狼狽えたりする必要は無い。それだけの分析力を既に備えている精神であれば、他者が(私の)我によって成っていることに気が付くと同時に、我が既に他者であることに気が付くであろう。我々は疎隔されたものとして己を見出す。「私」と云う領域が確定済みの既得権益だと考えるのは、肉体や社会的関係と云う慣習に馴らされ過ぎた所為で、全てが程度問題であると云うことに対して鈍感になってしまっているからに過ぎない。消去法によって一旦成立してしまった極を除いては、我々は常に背後から自分を見ているのである。


1394.
事勿れ主義:病的な社会的潔癖性の一種。組織を通じて絶大な感染力を発揮する。免疫力、抵抗力の脆弱化と共に肥大化し、次第に自己目的化するに至る。


1395.
私の日常に於てエポケーは余りにも常態化していしまっている為、日々のルーティーンから外れた出来事や、マニュアルの用意されていない出来事への対応を迫られる時はとても困る。Aと云う選択肢を選ぼうとBと云う選択肢を選ぼうと、私にはどうでも良いからであって、私の関心を惹くのは、選択肢が存在していると云う事実の持つ多様性、多面性の方だからである。


1396.
一年中うだる様な暑い夏の盛りだ。生活の疲れは、私を、溶けて固まって黴の生えたチョコレートの様な代物にしてしまう。


1397.
我々の保証人に対して永遠の磐石不動性を求めてはいけない。期待して良いのは精々、その保証人より我々の方が短命であるか、その保証人より我々の方が常に愚かであること位だ。時の中で全ての判断は没落する。だが………自らの保証人を籠絡し、誑し込み、自在に作り変えたいと云う我々の生来の欲望と来たら!


1398.
自分が神ではないと云うことは、立派にひとつの自殺の理由たり得る(私は何もそれが十分条件だとまで主張している訳ではない)。但し、私よりもっと実際的な人間であれば、自分が全能ではないと云うことに絶望するのかも知れないが、少なくとも私に関して言えば、自分が全知でないと云う事実は、この生の途方も無い莫迦ばかしさを声高に証言している。全宇宙にとって私の知識や経験など、今私が書いているこの文字の太さよりも遙かに低い価値しか持たない。ならば、吹けば飛ぶ様なゴミクズの大小を云々したところで、一体何の益が有ろう? 私は決して全てを知ることが無い。ならば、原理上その限界が絶対的に定められているこの存在形態をだらだらと未練たらしく続けて行くよりも、さっさと次の段階に進んで何が起きるか確かめてみるのが得策ではないだろうか?
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