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1386.
「お客様は神様です」と云う文句があるが、何と寒々しい神様であることか! この文句が表しているのは、単に限定された文脈の中の関係に於ける非対称性に過ぎない。どんな神秘も驚異も恩寵もそこには無い。「金は魂を食らい尽くす力を持つ」と云うことを述べているのに過ぎないのであるが、しかも人間の方では外見の振舞いと内心とを別けて考えると云う手段によって対抗することがあるにせよ、その場合ですらも、そこで守られる心にはどんな深みも無ければ広がりも無く、唯々陽気を装ったルサンチマンがあるばかりなのだ。


1387.
女には千の顔がある。個体としての女はそれこそ無数に居るが、幾つかの本質に関して言うならば、その各々についてたった一人しか居ない。あの (、、 )女やこの (、、 )女は過ぎて行くが、女の諸本質は永遠に滅びることが無い。


1388.
言葉を訪ねに行くことは出来ない。向こうからこちらを訪ねに来てはくれないかと、首を長くして辺りを見回すことが出来る位だ。


1389.
大勢の中の一人でいる時間の何と長いことか。目を内側にではなく外側へ向けていなければならない時間の何と無意味なことか。生きていなかったも同然の、存在していなかったも同然の時間を幾ら積み重ねてみたところで、一体この私にどんな意味が生まれると云うのか。


1390.
いざ絶望に襲われてみると、一瞬でも早くここから抜け出したいと切望する癖に、こんなことなら絶望していた方がまだ増しだと本気で思う瞬間が有るのはどう云うことだろう。病は無為に勝るとでも云うのだろうか? 或いはそうかも………いや、こんな凡庸な時間の中に在る人間が真剣な考察など出来る訳が無い。うだうだ空っぽの脳ミソを絞って考える位なら寝てしまったた方が遙かに増しだ。眠りの後には少なくとも回復の可能性を期待することが出来るが、凡庸な退屈に支配された疲弊した常識人は何をどう頑張っても、凡そ価値の有る洞察に辿り着くことは期待出来そうにない。


1391.
只の人間などどうでも良い。問題なのは人類だ。


1392.
私が何とか十代を形だけでも生き延びることが出来たのは恐らくは音楽と星空と夕焼けと、そして若干の言葉が存在してくれていたお陰だ。二度と繰り返したいとは思わないし、その為になら未だ来ぬ老年をそっくり差し出しても良い。しかし結局、私が二十代を迎えたのは偏に時間が見え透いた詐欺を働いたからであり、詰まる所救済は何処からも誰からも訪れなかったのである。
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