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1346.
明晰さは一種の悲惨である。混濁した者のみが満足することが出来る。だが困ったことに明晰な者にとっては、混濁はそれ自体が既に一種の悲惨である。要するに抜け道は無い。


1347.
見ることによって、私は何かに成る。書くことによって、私は名前を得る。世界と切り結ぶその結び目と、それに付随する無限遡行が、所謂「私」と呼ばれるところのものであるが、そこから生まれる新しい輪郭、新しい形の終局的な出自を問うことに、果たしてどれだけの意味が有るものなのだろうか。私は私であって、世界である―――このウロボロス的相互浸透を何処かで断ち切ってやることは出来る。だがこれは飽く迄も一時的な便宜上の措置であって、単に結び目を自分の背後に回して無視を決め込むと云うだけのことに過ぎない。


1348.
自分が不安定であることを書くこと自体には、何も問題は無い。だがその筆致は不安定であってはならない。この矛盾。自分が何者でもないことを書き表す為に、私は先ず、何者かに成らねばならない。


1349.
考えてはならぬと人は言う。思考で世界を分解してはならぬとその目が言う。見知らぬ風景を周囲に撒き散らしてはならぬとその唖の口が言う。あらゆるものの形と名前と序列が()まっている自分達の秩序を、既得権益を脅かしてはならあぬとその無駄にぶくぶくと肥え太った全身全霊が言う。要するに連中は私に死んでいて貰いたいのだ。


1350.
「完成」へ向かおうとしている人間に対してなら、「未完成な」と云う形容詞が意味を持つであろうことは理解出来る。だが、自分でも何処へ向かっているのかサッパリ分からぬ人間にとっては、そんな形容詞は的外れの下手な冗談としか思われぬ。


1351.
人、人、人。一斉に同じ方向へと向かう入替可能な黒山の人。人で溢れ返るこの風景にとって、私は異質な他者であり続ける。


1352.
自分の頭で考え、発言し行動しようとしてはいけないのだろうか? ―――その通り。賃金を受け取っている間は人間であってはならないと、雇用契約書に明記してある。
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